年賀 現在のお正月
櫻澤は吐き捨てるように言いましたが、その膝は震えていました。部屋の隅々を見回りましたが、自分以外誰も居ません。落ち着きを取り戻した櫻澤は、ネグリジェに着替えると、ベッドに入りました。
どれぐらいたったでしょうか。突然、部屋の中にリーン、リーンという金属のような音が聞こえてきました。
びくっとした櫻澤が、音のした方向を恐る恐る見ると、部屋の真ん中に、若くて背の高いお坊さんが、錫杖を持って立っていました。櫻澤は、震える声で尋ねました。
「あなた、誰なの」
「拙僧は、現在のお正月の僧侶にございます。あなた様にある人々の姿をお見せするために、こちらにまいりましたぞ」
あまりに不条理な出来事に、櫻澤は、もはや声を出すことすらできませんでした。
「さあ、起きて拙僧の錫杖を握りなされ」
現在のお正月の僧侶に促され、櫻澤はネグリジェのまま起き出して、彼の持つ錫杖の柄を握りました。
するとどうでしょう。櫻澤の姿は、現在のお正月の僧侶と一緒に、その場所から消えました。
気が付くと、櫻澤と現在のお正月の僧侶は、とある施設の前に来ていました。そこは、櫻澤の住むマンションから遠くない所にある、高齢者施設でした。
「本当はいけませんが、建物の中をごらんなされ」
僧侶に言われたとおり、櫻澤は窓から中を見ました。そこでは、10人ぐらいのおじいさん、おばあさんが大きなテーブルを囲んでいました。
そこへ、施設の若い職員たちが、おせち料理を運んできました。そのおせち料理は、決してぜいたくなものではありませんでした。しかし、おじいさん、おばあさんたちはみんなおいしそうに料理を食べていて、それはそれは明るい雰囲気でした。
彼らの様子を見て、櫻澤は、だんだん彼らがうらやましくなりました。
「私、知らなかった。うちの近くに、こんなあったかい場所があったんだ。この穏やかなときが、いつまでも続くといいわね…」
彼女がそう言うと、現在の僧侶は残念そうな顔をして、言いました。
「櫻澤さん、幸せはそんなに長くは続きませぬ」
「…どういうこと!?」
「来年の今頃、季節外れの台風がこの地を襲うでしょう。そのとき、この方々は…」
「この方々は、どうなるの?」
現在の僧侶は、何も答えませんでした。つらさのあまり、言葉が出なかったのです。
「まさか、みんな死んじゃうの?違うでしょ?違うでしょ、お坊さん!」
僧侶のほうを向くと、彼の姿は、どこにもありませんでした。さらに奇妙なことには、櫻澤の目の前の景色が、まるでメリーゴーラウンドのようにくるくると回り始めたのです。彼女は、目を回して倒れてしまいました。