歳月、僕を待たず
来た道を戻って、地図を見直して、しまいにはGPSを使いだす。
それでもわからなかったので、近くの人に聞いてみた。
「あの、ここにおいしい洋食屋さんはありませんか?
オムライスとナポリタンがとてもおいしい店なんです」
「はぁ? そりゃ何年前のことだよ?
もうずっと前につぶれちゃってるよ。ずっと前さ」
「そう、ですか……」
「というか、あんたどうしてその店のこと知ってるんだ?
あんな古い店の存在を知ってるなんて、若いのにびっくりだ」
「僕は、普通の人よりもずっと遅い世界を生きているんです」
「……はぁ?」
感謝の言葉を伝えてその場を去った。
どうせ説明してもわかりっこないし、わかったとしても忘れる。
なにせ、僕が寝てしまったら次に目覚めるのは何十年後か……。
何十年前の奇妙な男の言葉なんて覚えているはずはない。
「つぶれちゃったのか……残念だなぁ……」
僕にとってはつい昨日のこと。
料理も店の雰囲気も、なにより店長のおじさんがよかった。
必ずまた訪れようと思ったのに。
「帰ろう……」
家に帰ると、なぜか自分の部屋の前にテープが張ってあった。
周りには業者らしき人が荷物を出している。
「あの、なにをしてるんですか? ここ僕の部屋ですよ」
「はぁ? あんた何言ってんの。ここは何十年も空き家なんだ」
「え……」
僕が何十年ものときを過ぎている間、僕自身は消えている。
歳も取らないし記憶も残らない。
目覚めると、ただあっという間に時が過ぎている。
「そう、ですか……」
こんな体質なので賃貸なんか無理だ。
家賃を事前にどれだけ支払おうと、無人になれば空き家と思われる。
「よぉ兄ちゃん、どうしたぃ、そんな落ち込んだ顔をして」
「どした、どした」
道を歩いていると、親子連れに声をかけられた。
「実は家を追い出されてしまって……」
「そりゃ大変だなぁ。なにか力になれることないかい?」
「……ないです」
時間をとびとびに生きている僕の助けになることなんてない。
それに、部屋に人に関わっても1日1日を生きる人と
数十年単位をとびとびに生きる僕とじゃ溝が深すぎる。
下手に人と関わる方が、かえって相手の負担になってしまう。
「お兄ぃの家つくる。おれ、しょうらい、だいく、なる」
「ガハハ、こりゃ将来楽しみだなぁ。
兄ちゃん、うちの孫もこう言ってるんだ。
ちったぁ未来に向かって楽しげな顔でもしておきな」
「そう、ですね……そうですね!」
自覚症状はなかったけど落ち込んでいたらしい。
雑に励まされたが、それでも考えは変わった。
ついさっきまではこの世の終わりみたいに考えていたが、
そんなことはない。こんな体でも良い事はある。
「そうだよ! 俺は普通の人よりもずっと長い間生きられる!
だったらもっと世界の変化を楽しまないと!!」
普通の人が100年まで世界を見て死ぬのに対して
僕に関しては何百年まで世界を見てから死ねる。
普通の人の幸福は味わえなくとも、
僕だから楽しめることだっていくらでもある。
「……さて、でも何をしようか」
一番最初に思いついたのはペットだった。
生き物の成長を見守るのはきっと楽しいはず。
ただ……。
「犬や猫だと数十年先で死んじゃってるかもしれないな……」
かといって長寿の亀を飼うにしても、
屋根なし、家なし、餌なしの環境で長生きできると思えない。
次に目覚めたときにはすでに干からびてるかもしれない。
「そうだ! 動物がダメなら植物にしよう!」
ふとした思い付きだったが、会心のアイデアだった。
さっそく成長しても問題なさそうな土地にいくつもの木を植えた。
「普通の人じゃ成長を見守る前に死んじゃうけど
僕なら樹の成長するさまを自分の目で見られるぞ。楽しみだなぁ」
うきうきしながら眠りについた。
気分はあさがおの観察日記でもつけている気分だった。
目を覚ますと、木は腰ぐらいまで成長していた。
「おお、すごい。特に世話してなくても成長するんだなぁ」
実際にはここまで成長するのにも数十年たっているはず。
普通の人じゃじわじわしか変化しない木に愛想つかしているだろう。
僕の目にはすくすくと育っている木の成長が楽しかった。
また眠り、次に目を覚ますと今度は背丈を超えていた。
「すごい! なんて成長だ!」
実際には何十年もたってここまで来たんだろうけど。
順調に育つ木に親心すら感じ始めた。
「次の成長が楽しみだなぁ。次はどこまで大きくなるんだろう。
もういっそご神木くらい大きくなっていたりして……」
木の成長を楽しみにしながら、再び眠りについた。
・
・
・
目を覚ました瞬間、言葉をなくした。
「な、ない!? そんな!? 木がない!!」
木を植えていたはずの場所には、残骸のように切り株が残されていた。
通りかかったのは林業の人だった。
「君、そんなところで座りこんでどうしたぃ?」
「あの……ここにあった木は?」
「ここいらの木は人の手が入ってなくていい木材になるからね。
大きな建物を作るってんで木材が必要になったから使ったよ」
答えは自分でもわかっていた。
それでも、育て成長を楽しみにしていた木がなくなったのが
何よりもショックだった。ウソだと言ってほしかった。
結局、僕の手元には何も残らなかった。
家も友達も知り合いもお気に入りの店も、木でさえも。
「はぁ……この先どうしよう……」
落ち込みながら歩いているときだった。
「兄ちゃん、なに落ち込んでいるんだぃ?」
既視感にも似た感覚を感じた。
声をかけたのは立派な体をした大工の男だった。
「何もかも失ってしまったんです……家も……」
「ほぅ、そりゃ好都合だ」
「好都合?」
「実は長年の夢だった家を建てることはできたが
誰に住んでもらうかまでは考えてなかったんだ」
「あんた相当バカだな……」
「男は細けぇことは気にしねぇのよ。
それで、兄ちゃん、どうだい? 住んでみないか?
というか、あんたに住んでもらいたいんだ」
「なんで僕に……?」
僕の問いかけに、屈強な男は空を見上げて話し始めた。
「実は、今からずーーっと前に、
兄ちゃんみたく家を失ったしょぼくれ男に会ってな。
この人の家を作りたいってんで、大工を目指したんだ」
「あっ……!!」
思い出すなり、口から言葉が出なくなった。
たどたどしい言葉で夢を語った孫が今ここにいる。
「僕だって忘れていたのに……!
どうしてまだ覚えて……何十年も昔ですよ!?」
「人の言葉なんてのは、自分が考えてる以上に人に残るのヨォ」
大工の配慮もあり俺は家を手に入れることができた。
巷ではほぼ人の出入りがないので、
ゴーストハウスなどと呼ばれているが……。
でも、俺の育てた木で作られたこの家は
何十年たってもけして手放したくない大事な財産になった。