スーパーでただで買えたもの
その日は、あまりいい出物はなかったのですが、ペプシコーラゼロが、99円(税抜)と安かったので、1.5リットル8本入りを、とりあえずふた箱だけ買うことにしました。ほかの買い物の代金と合わせても二千円台の後半くらいだろうと、思うともなしに計算していました。
さて、カートにペプシの箱と買い物かごを乗せてレジ待ちの最後尾に加わり、待つこといくばくか。商品の計算を終えたレジのおばちゃんが自分に向かって「二千七百八円です」と言ったので、千円札を三枚出してトレイに置く。するとおばちゃん、怪訝そうな顔して、一枚多いと言って戻してくる。
一瞬、や、俺が間違っていた、この場合、千円札二枚とは別に、七百八円を出さなきゃいけなかったのか、おばちゃんは「残りの七百八円をはよ出さんかい、ごるあ」と吼えているのだ、という考えが頭を駆け巡ったものだが、また次の瞬間には思い直し、いやいや、世の中にはお釣というものがあって、多く出す分には問題ないはずだ、ノープロブレム、これでいいはずだと札をついと押し出してふんぞり返った自分だった。するとおばちゃんは、少しいらっとした調子を混ぜて続けて言った。
──千七百八円ね、千七百。一枚多いの、これ。
「千」にアクセントをつけている。どうやら、代金は二千七百八円ではなく、千七百八円が正解とのようだ。そうかそうか、千七百八円か、俺が聞き違えたのか。素直に自分は一枚返してもらい、財布にしまった。
ところが、お釣を受け取る段になって、やっぱりおかしい、千七百八円では少なすぎるのではないかという気がしてきた。
そもそもペプシコーラは、二箱16本だけで、税抜きでも1,600円ちかくするはずである。言うのははばかるが、買い物かごには、ほかにも菓子の袋をいろいろ放り込んでいる。それら全部で千七百はないだろう。がしかし、この店ではときどき割り引きセールをするので、そのせいだろうか──。
二秒くらいの間に自分は思いつくまま、考えたり打ち消したりしていたが、正直、うれしさにまみれたゆとりの時間だった。はからずも千円を得した気分だったからだ。このままスルーしようとも思ったが、そこはゆとりのなせる業、自分はじゅうぶんなゆとりを持って、おばちゃんに鷹揚なさまで尋ねてみた。次に順番を待っている人にも少し聞こえるみたいだった。
──きょうはなんなの。何か割引でもある日なの、や、ちょっと額が少ないんじゃないかと思って。
何度も言うが、ゆとりである。気持ちはゆとりに包まれている。長年生きてきて、いろんなことをやったように、レジも何度も通ってきた。経験上、こういう場合には、おばちゃんはにっこり笑って、視線を次の待ち客に向けるものだ。ところが、このおばちゃんは、ちと違った。
自分のゆとりの台詞をば、台所で交尾しているごきぶりを発見したような顔をして聞いていたおばちゃんだったが、何を把握したものか、表情をみるみる変えて自分に言い放ったのである。
──あれ、ひと箱ぶん、忘れてたわ。はい、(ピッ)855円ですう。
自分のゆとり&浮き足立った喜びは、おばちゃんの気づきとそれにともなう安堵の表情によって、泡沫のごとく消え去った。これが本来の金額、あるべき姿なのだと、自分は毎秒三回ほど自分自身に言い聞かせた。そのかいもあって、自分はその場で立ちくらみを起こすこともなく、ありもしないゆとりをたくわえた無様な役者の風情で、ふたたび財布の口を開くことができたのである。
正直なのはいいなあ、多少は馬鹿に見えるけど。自分は自分の行動を正当化せんがため、ただそのためにだけ、正直と正義の観念を噛みしめた。まだ店内にいる。
さて、ところが、ここからが他の人と違うところ。それがしの心内は、なかなか、それでは済まないのだ。
自分を自分でいいやつだと思い切ったのだった。
──もしあのとき、勘定漏れを知りながら、知らん振りして店を出ていたならどうなるか。別にどうもならない。ただ、自分の心が、痛むだけ。それがいやなのさね。いつも堂々としていたい。そんな自分の心を持ち続けていたいと思った、というか、さ。
さらに悪いことに、帰りの車内のBGMが、ちょうどオペラ座の怪人の名場面のくだりだった。音楽にまで鼓舞されて舞い上がった自分は、これからいいことも起きるさ、じゃなくて、これまで自分が受けてきたいいことへのせめてもの感謝の気持ちだと思えてきて、ますます、俺はなんという、ゆとりというのか、大きなことに気づいているんだろう、俺はなんてすごいやつなんだろう、と思えてきた。
──いい行いをすれば、いいことが出来する、なんてことはない。善行と余慶は関係ない。ないほうがいい。じつは自分はこれまで幸運だったのだ。いままで気づかなかったが、何か大きな強い力で守られてきたのだ。それは大きな大きな母なるものといえるのかもしれない。
そうするうちに、オペラ座の怪人は、佳境に入った。テノールとソプラノの歓喜の歌声が交差する。運転しながら、いつしか自分の左頬には、ひと筋の涙が流れていた。自分をいいやつだと思うあまりに。
855円で泣ける。場末の三流映画館でも、こんなことはありえまい。
無事家に着き、玄関の扉を開けると、そこはどこぞの劇場の屋根裏などではなく現実の居間だった。家内は、ふうんと聞いてくれた。
店から家までの30分足らずの間に、自分は己の小さい財布の中から宇宙の果てまで、くまなく考えることができた。
歳のせいもあろうか、とは思う。
作品名:スーパーでただで買えたもの 作家名:中川 京人