ワタシタチ。
あの夜。
その夜、わたしは
「まあ、いっか。」
が似合う女性になりたいと思った。
「付き合う人ができたんだ。」
一年、片想いしていた人に
一年、通い続けた飲み屋で告げられた。
「そうなんだ。」
まあ、いっか。
言わなくていいや。
今更言えるわけないし。
「っておい、それ俺が頼んだハイボール。」
私は彼が頼んだハイボールを横取りして
ちまちま飲み始めた。
私、ハイボール苦手
美味しくないし可愛くないもの
こんなのどこがいいのかさっぱり分からない。
「そういやお前は好きな人とどうなったの?」
あーあ。
呆れるでしょ
たった二文字が言えなかったの
「美味しくない。」
「お前ハイボール苦手じゃん。」
「知ってるなら言ってよ。」
「飲めるようになったのかと思った。」
諦めよう。
気持ちも伝えていないのに勝手に嫉妬して
何て図々しい女なのだ。
「次なに飲む?」
「...ハイボール。」
「..は?」
あなたの好きなものを好きになりたい。
あなたの好きなものを好きな私を
好きになってもらいたい。
昔からそう
好きになってからそう
ずっとずっとそう
ああ、よくないじゃんか。
まあ、よくないじゃんか。
もう、こんなの全然よくないじゃんか。
「―――その人のどこが良いの。」
「んーー..。」
ほら、出てこない。
きっとすぐ別れるよ。
「どこってないんだけど、」
だけど?
「でもなんだかずっと一緒に居たいなあと思えるような人なんだよなあ。」
とうに終電を逃した私は
一人駅のホームで白い息を吐いた。
季節は少しずつ
だけど確実に春へと向かっている。
なんて苦しくて
切ない季節なのだろう
こうゆう時はどんな音楽が一番良いんだっけ、と頭の中で考えつつイヤホンをつけ再生ボタンをおした
上京したばかりの頃、私は寂しさと空虚さを埋めるために音楽をランダムでたくさんダウンロードした
身体に流れ込んでくる一度聞いたことのある曲達でさえ全て新しい音楽に聞こえてきた
この街に流れる時間の速さと
自分自身の焦りと不安をカモフラージュしてくれた
よく聞いていたバンドの
その中のメンバーに片想いをしていたのだ
そして
初めて出会った飲み屋で一目惚れし
初めて出会った飲み屋で失恋をした
これは笑える。
いずれ酒のつまみになる。
私は冷えきって固まりそうな手を
ポケットに入れた
本来こうゆう時に流れるであろう涙は
なぜかその時流れることはなかった
『好きな人に付き合う人ができてから伝える「すき」は
後出しジャンケンよりもずるいことなの?』
その後出しジャンケンでさえ
する勇気が無かった私だ
「意気地なし。」
気付くと当たりは少しずつ明るくなり
駅のホームには始発に乗る人達が疎らに集まり始めた
これから私は彼の音楽が聞けるのだろうか
彼女のために捧げる曲も増えていくのだろうな
もうライブに行くことはない?
彼に誘われたら私は変わらず行くのだろうか
ずっと流していた曲が彼を知るキッカケとなった曲と気付き私は笑ってしまった。
桜が咲いたら切ない歌詞をメールの下書きに溜めて
雨が止んだらフェスに向いている新曲を披露し
木の葉が色づけばツアーの準備だなんだと忙しくなり
そして
微かな雪が舞う頃に
ハイボールを片手にあなたはギターを奏でる
その日々の隣にいるのは私ではない。
イヤホンを外し眩しい朝陽に目を細めながら
私は電車へと乗り込んだ。
始発特有の空気に酔いしれ
今更になって
私は無理して飲み干したハイボールの味を思い出した
だけど
それでも
ずっとこの味が続けばいいと思ってしまったその味は
苦くて吐きそうなくらい嫌な後味がしたのを今でも私は覚えている。
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『あの夜。』/ meluco.