未来は嘘をつく
おもわぬ返事
長い夜が明けて僕は病棟内の休憩室に来ていた。
一睡もできなかったわけではないけれど、ほとんど寝てはいなかった。病室に一人でいるのが嫌でここに来ていた。
早朝の朝6時前だったけれど、動くことが出来る何人かの入院患者がそこには居た。何台も並んだ自動販売機から缶コーヒーを選んでボタンを押すと取り出し口から大きな音が響いていた。
椅子に座ってそのコーヒーを飲みながら僕は携帯を取り出しラインを開き、角川さんあての文章を打ち込んでいた。
『昨日はありがとう。おいしかったです 明後日の水曜日におかげさまで退院できることになりました まだ松葉づえで病院通だけど、近くの病院にアパートから通院します 会えて嬉しかったですありがとう きちんと普通に歩けるようになったらお弁当箱をお返しに会いにいきます お見舞い本当にありがとう』
文字を打ち込みながら何度も手直しで結局10分以上も携帯を見つめていた。
これでいいと納得したわけではなかったけれど、諦めていた。
彼女に正直な気持ちを今日伝えることはとても無理だった。本当に言いたいことは一つも文字にすることはできなかった。
缶コーヒーを飲み干し、僕は病棟内の携帯使用エリアに向かい、早朝だったけれど角川さんにラインを送信していた。
既読の表示はびっくりするほど早く、携帯の画面を見ながら僕は少し慌てていた。
そして1分後に角川さんからのラインが帰ってきていた。
『良かったね退院おめでとう 今日の午後そっちに行きます。』
短い返事に、びっくりしていた。彼女が今日も来るなんてことは想像もしていなかった。
僕は少し動揺しながら
『学校は大丈夫?』
って返信するのが精いっぱいだった。
『お休みしちゃいます 面会時間は1時からなのは昨日調べたから知ってます おやつを作って持って行ってあげるから食べてね』
彼女の返信はすぐに返ってきていた。
僕は気持ちとは別に
『休んでまで来なくても大丈夫だよ 一人はもう慣れっこだから』
って返していた。
彼女の最後の返信は
『私は大丈夫!!じゃぁ後で!!』
だった。
病室に戻って僕はしばらく角川さんとのラインのやり取り画面を見つめていた。
僕は角川さんに間違いなく恋をしていた。
だけど、その気持ちを彼女に伝えるのは正直ためらっていた。
これから午後に彼女に会ったとしてもそれはできないと思っていた。
もちろん2年以上も付き合ってきた彼女と別れたのは、角川さんを好きになっていた自分へのケジメだった。でも、それはそれだった。角川さんにも付き合っている相手がいるのは知っていたし、僕は角川さんとの今の関係をこわしたくはなかった。
僕は本当はこのまま角川さんとは会わずに退院をしてしばらく彼女と距離を置こうと思っていた。
そんな考えは、やっぱり自分勝手な考えだって気づかされていた。
ベッドにもぐりこんで頭から布団にくるまって僕は僕から隠れていた。
それからなぜかそんな気持ちの中で僕はそのまま寝てしまっていた。
起こされたのは病棟内に朝食が運ばれてきた8時を少し過ぎた時間だった。
朝食は人が言うほどまずいものではなくいつも通りだったけれど、さすがに今日はあまり喉が通らなかった。めずらしく食事を残していた。
個室の部屋のドアが開いたのはそのあとだった。
30代後半の担当医の杉山さんとナースの神崎さんだった。
いつも通りに簡単な問診だけで、あとは退院後のリハビリの事を伝えて担当医の杉山さんがすぐに出て行ったのに神崎ナースは僕に話しかけてきていた。
「森山君、今日は元気なの?」
なんだか、顔を覗きこまれていた。
「いつも通りですけど・・それより昨日準夜勤だったでしょ。今日はもう日勤なわけ?」
神崎さんが朝に現れてびっくりしていた。
「明日から頑張ったおかげでやっとのことで6日間の遅い夏休みなのよ。おかげで今日はさすがに眠いんだけどね。だから今日で森山君とは最後なの。退院良かったね。けっこうな重症だったけど後遺症なさそうだしね」
大きな声で説明されていた。
「そうなんだ。お世話になりました。いろいろご面倒かけまして・・」
入院当初の事を思い出していた。
「いえいえこちらこそ至りませんで・・まっ、同い年がいなくなっちゃうのは少し寂しいけどね。仕事の愚痴を聞いてもらう相手をまた探すわよ。森山君は私に何か相談事はない?」
笑いながら言われていた。
「ないですよ。そんなもん」
僕も笑いながらそれに答えていた。
「ならいいけど、だってなんとなく想像できちゃうから・・まっ、いいか。ちゃんとできたのか聞きたかったけど、いいや。そこまで聞いちゃうとだしね。」
また、言われていた。
「ちゃんとってなんですか」
わざと少しため息を出しながら聞き返していた。
「あのね私、人を観察するの好きなのよ。それが返事ね。いいのいいの気にしないで。森山君頑張ってね。じゃぁ元気でね」
神崎さんは言い終えると背中を向けて歩き出していた。
僕は相変わらずの上から目線の彼女に苦笑いだった。