ウサギになりたくなかったウサギ
ウサギは、自分のことが大キライでした。
どうしてキライなのかって?
だってウサギは、トラのように鋭い牙も、クマのように力強い腕も、オオカミのようにさっそうと駆け抜ける足も持ってはいないからです。
ウサギが持っているのは、やたらと長くて大きくて、へんてこな耳でした。
どんなにトラや、クマや、オオカミをうらやましく思ったことでしょうか。
せめてこの耳がキツネと同じくらいの大きさだったなら、こんなにみじめな思いはしなくてすんだのかもしれません。
たしかにこの長くて大きな耳は、自分を狙う動物たちから逃げるのに役に立ちます。なぜなら、どんなに遠く離れた場所からでも、かすかな音を聞くことができるからです。
ウサギがこの森の中で生きていくためには、とても大切なことでした。
でもそれは、自分が臆病でか弱い生き物であることの証しのようにも思えて、ウサギはそんな自分を恥ずかしく思っていたのです。
ある日のことです。
お腹をすかせたウサギは、タンポポとシロツメクサの花が咲いている花畑へとやってきました。
森を抜けたこの花畑は見晴らしがよくて、トラも、クマも、オオカミもやってはきません。ウサギにとってはただひとつ、のんびりと安心できる場所だったのです。
花畑では、春の暖かな日差しの中でたくさんのチョウがひらひらと気持ちよさげに飛んでいました。
シロツメクサの花と同じ色のチョウもいれば、タンポポの花と同じ色のチョウもいます。花の間をひらひらと飛びまわるチョウたちは楽しそうで、何の悩みもないように見えました。
「ウサギになんか、生まれたくなかったなぁ」
大好物のシロツメクサをかじりながら、ウサギは、ぽつりとグチをこぼしました。
こんなちっぽけな虫だって空を飛ぶことのできる羽を持っていて、自由気ままに好きなところへ飛んでいけるというのに、自分ときたらやたらと長くて大きな耳しか持っていないのです。
こんなへんてこな耳なんか、欲しくもなんともなかったのに。
神さまは、なんて不公平なのでしょうか。
「ウサギに生まれたって、何もいいことなんかありゃしない」
ウサギがシロツメクサをかじりながらもう一度グチをこぼすと、一匹のタンポポ色のチョウがすぐそばまでやってきました。
自分のまわりをひらひらと飛びまわるチョウは、小さな声で何か話しかけているようでした。チョウの声はとても小さくて、きっと他の動物たちには何を言っているか分からないでしょう。
けれどウサギが長くて大きな耳で聞き取ろうとしたなら、タンポポ色のチョウが何を言っているのか分かったはずです。
でもウサギはそ知らぬふりをして、シロツメクサをかじり続けていました。
ウサギは、自分には与えてもらえなかった羽を持つチョウがうらやましく、妬ましく思えたのです。
しばらくの間、チョウはウサギのまわりを飛びながら話しかけていたようでしたが、やがてあきらめたのか、だまって仲間たちのもとへと飛び去って行きました。
次の日も、そのまた次の日も、花畑でシロツメクサをかじるウサギのそばにタンポポ色のチョウはやってきて、小さな声で話しかけてきます。
そのたびにウサギは長くて大きな耳をわざと下に向けて、チョウの声が聞こえないふりをしました。
ウサギは、すっかりひねくれてしまっていたのです。
ある日、いつものように花畑にやってきたウサギは、チョウたちの姿が見えなくなっていることに気がつきました。
シロツメクサをかじりながら、ウサギはあたりを見回します。
あれほどたくさん飛んでいたチョウたちはいったいどこに行ってしまったのでしょう。
不思議に思いながらシロツメクサをかじるウサギの身体を、風がさわさわとなでていきます。
ひときわ強い風が吹いた、そのときでした。
かさかさと、なじみのない音が聞こえたのは。
ウサギが音のする方へと首をのばすと、たくさんの白と黄色の花びらが風にあおられて、空へと舞い上がっていくようすが見えました。
タンポポやシロツメクサの花の色に似ていますが、見たこともない花びらです。
この花畑のどこに、あんな花が咲いていたのでしょうか。
首をひねって空を見上げていたウサギは、「あっ!」と声を上げました。
空へ舞い上がっていったたくさんの花びらは、命を終えたチョウたちのなきがらだったのです。
ウサギは、口にくわえていたシロツメクサがぽとりと落ちたことにも気づかずに、風に飛ばされて小さくなっていくチョウたちのなきがらを見守ることしかできません。チョウたちの命がこんなにも短いものだなんて、ウサギは知らなかったのです。
自分は、なんて意地悪だったのでしょうか。
こんなことなら、声をかけてきたタンポポ色のチョウの話を聞いてあげればよかった……。
そう思ったとき、ウサギの耳が、かすかな声を聞き取りました。
ウサギは長くて大きな耳をぴんと立て、声がしたあたりを探しました。
見ればシロツメクサの葉の間に、一匹のチョウが横たわっているではありませんか。ウサギに声をかけてきた、あのタンポポ色をしたチョウでした。
そばに行ってみると、チョウは横たわったままで何度か弱々しく羽ばたきをしましたが、もう空を飛ぶだけのちからは残っていないようでした。
「わたしの声が届いたのですね。来てくださって、ありがとう」
チョウは小さな声で、うれしそうにウサギに話しかけてきました。
「ごめんよ。ボクは、きみの声が聞こえないふりをしたんだ」
「いいんですよ。こうやって、わたしを探しにきてくれたじゃないですか」
ウサギは自分のしたことを謝りましたが、ありがたいことに、チョウはちっとも気にしていないようでした。
「ボクは自分のこのへんてこでみっともない耳が大キライでさ、空を自由に飛びまわれる羽をもったきみたちのことが、うらやましくてしょうがなかったんだ」
「みっともないだなんて、とんでもない。あなたのその長くて大きな耳がどんなに素晴らしいか、わたしはよく知っていますよ」
「素晴らしいだって? このボクのへんてこな耳がかい?」
チョウの言葉に、ウサギは驚いて目を丸くしました。
「ええ。わたしたちの声はとても小さくて、他の動物たちはだれも聞き取れないのです。あなたのその長くて大きな耳でなければね」
自分のこのへんてこな耳を素晴らしいとほめてもらえたことを、ウサギは信じられない思いで聞いていました。
でも、チョウが本当にそう思ってくれているらしいことは伝わってきます。
ウサギはうれしくて、泣き出しそうになりました。
「あなたにお願いがあるのです。どうか、きいてもらえませんか」
「ボクにできることなら、なんでもきいてあげるよ」
チョウの声はとても真剣でした。
いったい、どんなお願いがあるというのでしょうか。
「わたしたちの命は短くて、生まれてくる子どもたちの姿を見ることができません。また次の春がやってきて、子どもたちがこの花畑を飛びまわるようになったなら、伝えてもらいたいのです。短い一生でも、精いっぱい生きて欲しいということを。そしてわたしたちが、どんなに子どもたちのことを大切に、愛おしく思っていたのかを」
チョウの声は、どんどん小さくなっていきます。
どうしてキライなのかって?
だってウサギは、トラのように鋭い牙も、クマのように力強い腕も、オオカミのようにさっそうと駆け抜ける足も持ってはいないからです。
ウサギが持っているのは、やたらと長くて大きくて、へんてこな耳でした。
どんなにトラや、クマや、オオカミをうらやましく思ったことでしょうか。
せめてこの耳がキツネと同じくらいの大きさだったなら、こんなにみじめな思いはしなくてすんだのかもしれません。
たしかにこの長くて大きな耳は、自分を狙う動物たちから逃げるのに役に立ちます。なぜなら、どんなに遠く離れた場所からでも、かすかな音を聞くことができるからです。
ウサギがこの森の中で生きていくためには、とても大切なことでした。
でもそれは、自分が臆病でか弱い生き物であることの証しのようにも思えて、ウサギはそんな自分を恥ずかしく思っていたのです。
ある日のことです。
お腹をすかせたウサギは、タンポポとシロツメクサの花が咲いている花畑へとやってきました。
森を抜けたこの花畑は見晴らしがよくて、トラも、クマも、オオカミもやってはきません。ウサギにとってはただひとつ、のんびりと安心できる場所だったのです。
花畑では、春の暖かな日差しの中でたくさんのチョウがひらひらと気持ちよさげに飛んでいました。
シロツメクサの花と同じ色のチョウもいれば、タンポポの花と同じ色のチョウもいます。花の間をひらひらと飛びまわるチョウたちは楽しそうで、何の悩みもないように見えました。
「ウサギになんか、生まれたくなかったなぁ」
大好物のシロツメクサをかじりながら、ウサギは、ぽつりとグチをこぼしました。
こんなちっぽけな虫だって空を飛ぶことのできる羽を持っていて、自由気ままに好きなところへ飛んでいけるというのに、自分ときたらやたらと長くて大きな耳しか持っていないのです。
こんなへんてこな耳なんか、欲しくもなんともなかったのに。
神さまは、なんて不公平なのでしょうか。
「ウサギに生まれたって、何もいいことなんかありゃしない」
ウサギがシロツメクサをかじりながらもう一度グチをこぼすと、一匹のタンポポ色のチョウがすぐそばまでやってきました。
自分のまわりをひらひらと飛びまわるチョウは、小さな声で何か話しかけているようでした。チョウの声はとても小さくて、きっと他の動物たちには何を言っているか分からないでしょう。
けれどウサギが長くて大きな耳で聞き取ろうとしたなら、タンポポ色のチョウが何を言っているのか分かったはずです。
でもウサギはそ知らぬふりをして、シロツメクサをかじり続けていました。
ウサギは、自分には与えてもらえなかった羽を持つチョウがうらやましく、妬ましく思えたのです。
しばらくの間、チョウはウサギのまわりを飛びながら話しかけていたようでしたが、やがてあきらめたのか、だまって仲間たちのもとへと飛び去って行きました。
次の日も、そのまた次の日も、花畑でシロツメクサをかじるウサギのそばにタンポポ色のチョウはやってきて、小さな声で話しかけてきます。
そのたびにウサギは長くて大きな耳をわざと下に向けて、チョウの声が聞こえないふりをしました。
ウサギは、すっかりひねくれてしまっていたのです。
ある日、いつものように花畑にやってきたウサギは、チョウたちの姿が見えなくなっていることに気がつきました。
シロツメクサをかじりながら、ウサギはあたりを見回します。
あれほどたくさん飛んでいたチョウたちはいったいどこに行ってしまったのでしょう。
不思議に思いながらシロツメクサをかじるウサギの身体を、風がさわさわとなでていきます。
ひときわ強い風が吹いた、そのときでした。
かさかさと、なじみのない音が聞こえたのは。
ウサギが音のする方へと首をのばすと、たくさんの白と黄色の花びらが風にあおられて、空へと舞い上がっていくようすが見えました。
タンポポやシロツメクサの花の色に似ていますが、見たこともない花びらです。
この花畑のどこに、あんな花が咲いていたのでしょうか。
首をひねって空を見上げていたウサギは、「あっ!」と声を上げました。
空へ舞い上がっていったたくさんの花びらは、命を終えたチョウたちのなきがらだったのです。
ウサギは、口にくわえていたシロツメクサがぽとりと落ちたことにも気づかずに、風に飛ばされて小さくなっていくチョウたちのなきがらを見守ることしかできません。チョウたちの命がこんなにも短いものだなんて、ウサギは知らなかったのです。
自分は、なんて意地悪だったのでしょうか。
こんなことなら、声をかけてきたタンポポ色のチョウの話を聞いてあげればよかった……。
そう思ったとき、ウサギの耳が、かすかな声を聞き取りました。
ウサギは長くて大きな耳をぴんと立て、声がしたあたりを探しました。
見ればシロツメクサの葉の間に、一匹のチョウが横たわっているではありませんか。ウサギに声をかけてきた、あのタンポポ色をしたチョウでした。
そばに行ってみると、チョウは横たわったままで何度か弱々しく羽ばたきをしましたが、もう空を飛ぶだけのちからは残っていないようでした。
「わたしの声が届いたのですね。来てくださって、ありがとう」
チョウは小さな声で、うれしそうにウサギに話しかけてきました。
「ごめんよ。ボクは、きみの声が聞こえないふりをしたんだ」
「いいんですよ。こうやって、わたしを探しにきてくれたじゃないですか」
ウサギは自分のしたことを謝りましたが、ありがたいことに、チョウはちっとも気にしていないようでした。
「ボクは自分のこのへんてこでみっともない耳が大キライでさ、空を自由に飛びまわれる羽をもったきみたちのことが、うらやましくてしょうがなかったんだ」
「みっともないだなんて、とんでもない。あなたのその長くて大きな耳がどんなに素晴らしいか、わたしはよく知っていますよ」
「素晴らしいだって? このボクのへんてこな耳がかい?」
チョウの言葉に、ウサギは驚いて目を丸くしました。
「ええ。わたしたちの声はとても小さくて、他の動物たちはだれも聞き取れないのです。あなたのその長くて大きな耳でなければね」
自分のこのへんてこな耳を素晴らしいとほめてもらえたことを、ウサギは信じられない思いで聞いていました。
でも、チョウが本当にそう思ってくれているらしいことは伝わってきます。
ウサギはうれしくて、泣き出しそうになりました。
「あなたにお願いがあるのです。どうか、きいてもらえませんか」
「ボクにできることなら、なんでもきいてあげるよ」
チョウの声はとても真剣でした。
いったい、どんなお願いがあるというのでしょうか。
「わたしたちの命は短くて、生まれてくる子どもたちの姿を見ることができません。また次の春がやってきて、子どもたちがこの花畑を飛びまわるようになったなら、伝えてもらいたいのです。短い一生でも、精いっぱい生きて欲しいということを。そしてわたしたちが、どんなに子どもたちのことを大切に、愛おしく思っていたのかを」
チョウの声は、どんどん小さくなっていきます。
作品名:ウサギになりたくなかったウサギ 作家名:沙羅