布団の中
一時も休止することなく継続される犯罪の只中に、自分は生きていると思った。犯罪を犯すことと生きることとは同一であった。
何も無し得ないということにしか自己の存在理由を見出せず、存在理由を見出すことが、償うことの不可能な罪を犯しつづけること等価であるという根源的な循環の中で、男は今日も硝子戸の外を見つめていた。
厳寒の外気は射すくめられるほどに清浄で、その先は鋭かった。硝子戸を介して部屋中に散乱する刺によって、襖、壁、畳はずたずたにされていた。
男は自分を守るただ一つの手段である布団の中で、身体を硬くしていた。布団は光を柔らかく吸収し、優しいぬくもりに変換してくれた。
布団の中は、男の怯え、怒り、悲しみで塗り固められている。
もし布団を剥ぎ取ることができたなら、そこには他者を寄せ付けぬ客観性を伴った可視的な男の身体を目の当たりにできるはずだ。
だが、全てが暴かれても、理解は不可能だろう。何故なら、そこにあるのは男の身体という物理的な現象にすぎないからだ。
男の現象を観察し、記録を取ることは出来る。だが、それは男とは無関係な、観察者の行為であるにすぎない。
全てがある。しかし、何一つ存在しない。
これは男が生きてきた中で唯一学び取った真理であった。そして男は、この言葉が具現化されたものでしかなかった。
男を理解するには、男の布団を理解しなければならない。客観的な観察をではなく、男と同一化しなければならない。
そして、共にこの布団の中で一生を送らねばならない。
だが、誰がそこまでして男を理解しようとするだろうか。
それよりも、一体化した人間とは自己にほかならないのだから、理解という関係は、そもそもあり得ないということになる。
全てがある。しかし何一つ存在しない。男も世界も貴方も。