蝉が鳴く世界で
真夏の太陽がガンガンと照りつける中。季節柄愛用の寝袋はないものの、それでもしぶとく木陰で寝転んですやすやと眠る友人――あずみに、篝火は思わず頭痛を覚えた。いつものこと、ではある。それはもうあずみは年がら年中どこでも眠れる某小学生のような体質なのだ。今更に直せとは言わないし、言っても無駄であることもわかっている。
だがそれにしたって限度ってものが云々。もしくは、篝火が最近熱帯続きで睡眠不足に陥っていることもあって苛立っているのかもしれない。自分は熱さで寝付けないというのに、真っ昼間から目の前で熟睡されてはイイ気がしなくて当然だ。というか、単純に腹が立つ。
不意に篝火はあずみの身体に乗っかっているものに気付いた。蝉の、死骸だ。蝉の死骸が、悠長に寝息を立てているあずみの胸の上に乗っている。誰かがイタズラで乗せたのか、はたまた自然と木から偶然落ちてきたのか。前者であれば悪趣味だとは思うが別に構わない。けれど、後者だとしたら……いろんな意味で複雑な気分になった。
蝉の一生は短い。人間(ヒト)から見れば、ほんの瞬く間の時間だ。それでも蝉は己の使命を始めから知っているように、短い夏を懸命に生きる。まるで、必死に足掻いている人間の方が愚かとでも言いたげに。ほんの一瞬、言い知れぬ妙な錯覚を覚えて、篝火は思わず息を呑んだ。
ミーンミンミンミンミン……。
蝉の鳴き声がけたたましく鳴り響く。まるで警鐘のようなそれが、篝火の頭の中でガンガンと響き渡った。
……何だ。この胸糞悪い感覚は、何だ。
心が騒めく。風がざわめく。空気が、揺れる。それでも灼熱の太陽は容赦なく降り注ぎ、蝉の鳴き声はなお大きく渦巻く。刹那、篝火は弾かれたように顔を上げると、足元で眠り続けるあずみを見遣った。あずみはいつものように穏やかに眠っている。いや――。
「……あずみ?」
――本当に、彼女は、『眠っている』だけなのだろうか。ぞくりと、肌が粟立った。言い様のない寒気に襲われる。それはまるで氷の刃を押し当てられたような、刹那的な恐怖に似ていた。
「あずみ……おい、あずみっ!」
柄にもなく声を荒立てて、あずみのか細い肩をわし掴む。いつもと同じはずの呑気な寝顔が、今はひどく血の気のないように思えた。どんなに叫んでも揺さぶっても、目覚める気配は一向に目覚める気配はない。
ぽとり……。
蝉の死骸が、地面に落ちた。その瞬間、あずみの白い瞼がぴくりと動く。
「……ん~……藤野くん……?」
その頬に少しずつ赤味が戻っていく。人形から、人間に戻る。ゆっくりと重たそうに開かれた瞳は、いつもと同じ澄んだ湖底色で篝火を見つめた。
「……っの、スカポンタンがッ!」
「ふあ~あ……なんでキレてるんですか~? 男の子の日でした?」
「ルセェ! 心配させんじゃねーよ……」
地面に落ちたはずの蝉の死骸がどこにも見当たらないことに、篝火は気がつかなかった。