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青井サイベル
青井サイベル
novelistID. 59033
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人間をえぐる短編小説 「かには女である」

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蟹江良二の父、良一の経営する鍋製造メーカーが倒産したのは、
良二が中学二年の時だった。
母の房子はもう何年も前に蒸発していた。
房子が蒸発した数年前。
事の発端は、
父・良一の、かに道楽である。



仕事の関係でとある旅館を訪れた良一は、そこでかにに開眼してしまったのだ。
先付けに始まり八寸から豆腐、ゆで、焼き、天ぷら、グラタン、かに味噌の濃厚で甘美な酔い。
全身をかにに征服され、以来良一はかにをひたすらに追い求めるかに道楽になってしまったのだ。
かに食べ放題ツアーには参加しまくる。
高価なかには買いあさる。
「かに道楽」に通いつめる。
かにの甲羅を洗って垣根に干す。
そこそこ裕福な代を築いていた蟹江家だったが、身上はたちまち悪くなった。
留守がちな家でも更に会話がなくなった。
会話がないのは良一がつねにかにをほじり、ほおばっているからである。
そんな人間は無口だ。
他のことも頭にない。
近所のスナックに喉のものではない渇きを癒しに通い始めた房子も家庭を顧みなくなり、ついにはそこで知り合った男と逃げた。
一人息子の良二はまだ小学生だった。
一体そんなかにな事態に、何ができたというのだろう。



会社の倒産から数日後、良二もまた、逃げた。
残された良二に頼るべき縁故はなく、彼は中学に通うことすらおぼつかなくなり、肉体労働の現場にまだ育ちきっていない身を投じ、
なんとか生き延びた。
良二は遮二無二働いたが人と口をきかなかった。
人との交流も口のききかたも知らなかったのだ。
ただ良二の胸の裡に燃えるのは、口をきけず表現できないからこそさらに煮えたぎる、両親への、何よりもかにへの憎しみだった。
かにさえ。
良二は考える。
かにさえなければ、おれの人生は。
おれはかにをめちゃくちゃにしてやる、かに、覚えているがいい。
おまえを破滅させてやるからな。
酒、女、博打、薬。
思いつく限りの悪事と荒廃に首まで漬かりながら、
良二は固く決意していた。




時が経ち、ロシア近海の禁漁海域で、かにを捕る、っていうか盗る良二の姿があった。
かにの名誉や価値をこうして傷つけ、かにに溺れる人間どもから濡れ手に粟の稼ぎを得る。
復讐は為された筈だった。
良二の日に焼けた顔は赤銅色というよりも、どす黒かった。
その顔は、思いを果たした今も、幼い頃同様笑わない。
彼はひたすらにかにをいたぶり、気が立った時など捕らえたかにをその場で足蹴にし、荒縄で打ち据えることもあった。
止める仲間の漁師の豪腕に締め上げられながら、良二は荒れ狂った。
酒を交わした時事情を聴かされたことのあった仲間の一人は、
そんな良二を見つめ、自分もまた、かに道楽の犠牲者なのかもしれない、と思った。
あの手脚で、人生を操られて。
それとも人を惹きつけて止まぬ魅力を擁しながら、海の底から無理やり引き上げられ、しまいに人を狂わせ、消費されるかにが哀れなのか。



道楽にも色々ある。その中のひとつ、かに道楽。
あの殻の紅と白い身の誘惑。蜜のような味噌。
かには女だ。
かには女と同じだ。
紺碧の海の上を、何も知らぬ海鳥たちが鳴き交わしながら、いつまでもいつまでも舞っていた。
仲間はふと考えた。
そんなにかにが憎いわりにこいつ、かに、死ぬほど食うな。
しかし思い直した。
憎さ余ってなお虜にしてしまう、それがかにの魔性なのかもしれないと。









            完