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てっしゅう
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novelistID. 29231
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「歴史のお話を」 飛鳥時代 その二

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大津皇子謀反の知らせあり、の進言はうののさららと親しくなった藤原不比等の策略とも言われています。彼は自分の娘を天皇の后にしたいのでその意に添わない大津を追い落として、草壁を支援しました。草壁は早世しますが、その子供そして孫へと不比等の思いは伝えられてゆきます。

そして前例のない不比等の娘、光明皇后は皇族ではない初めての皇后となりました。
その光明皇后と聖武天皇の子供は女だったので、即位して史上有名な孝謙・称徳天皇(こうけんは最初の名前。二度目に即位してしょうとくとなりました)となります。
同じ天皇が再び即位することを重祚(ちょうそ)と呼んでいます。
この時代では少し前に皇極・斉明(こうぎょく・さいめい)天皇が居ました。
天智天皇(=なかのおおえのみこ)と天武天皇(=おおあまのみこ)のお母さんです。

彼女は皇極天皇だった時に、あの乙巳(いっし)の変が起こって、宮中の大極殿の中で可愛がっていた蘇我入鹿(そがのいるか)が殺されるのを目撃します。
諸説あってこんなことを書くのは恐れ多いのですが、皇極と入鹿は普通の関係ではなかったように思っています。歴史家ではそちらの方面は研究しませんよね(笑)

息子の中大兄は普段から強硬な意見を押し通し、振る舞いも身勝手だったので母親の皇極は恐れていました。
たとえ入鹿に行きすぎた行為があったとしても、今でいう国会議事堂の中で総理大臣を暗殺するようなものです。
中大兄や鎌足(=ふじわらのかまたり)の行動はクーデターであり、厳しく天皇から罰せられなければならない行いだったのです。

時の宮中で権力を欲しいままにしていた蘇我氏一族の反勢力がこの時に中大兄側に一気になだれ込んだことは言うまでもありません。
天皇も後ろ盾を失って何も言うことが出来なかったのですね。
そののち引退して弟の孝謙(こうけん)天皇へ譲位しました。
この人は鎌足の言うがままでした。

余談ですが、孝謙天皇は中大兄の妹間人(はしひと)皇女を妻にしていました。
その間人は中大兄と肉体関係がある兄妹だったのです。
同じ母の兄妹は結婚することが出来ないので、好き同士と解っていても離さないといけないと母親の皇極天皇は弟に娘を嫁がせました。
後に孝謙が大阪に都をおいて中大兄が住まいを飛鳥の地に遷したいと出て行った時に、母親の皇極と妹の間人は着いて行ったのです。

この事がショックだったのか孝謙は間もなく逝去します。
夫より愛した兄を選んだ間人もやがて若くして亡くなります。
人の運命は皮肉です。思う人とやっと自由の身を約束された後に命を失ってしまう。
禁断の恋はいつも悲しい結果が付きまといます。