猫にとっての幸福論
気が付くと俺は路地裏の空き地にいた。
ここにたむろする猫は数匹。空き地のボスである大柄なトラ猫・ゴン太。その地位を狙うブタ猫・シロ。メス猫のクロエとミケタン。それから風来坊の俺・通称はっちゃんだ。
俺は雄猫とはいえ、ゴン太やシロのように粗暴ではなく、どちらかといえば理知的なので、地域猫ボランティアの人から与えてくれるカリカリも最後に食べる。食料は十分にあるし、健康だがあまり幸福感はない。
クロエやミケタンからのペロペロはないし、誰からも何も期待をされない。つまり俺の場合は、愛情も仕事も仲間からの尊敬もないという状態なのだ。ラッセルは動物を一括りにしたが、少なくとも猫のような高等動物に単純な幸福の条件は当てはまらないと思う。
さらにいえば、俺には本能に根ざした充足感があまりない。
腹を減らしながら獲物(ネズ公)を追い詰め、鋭く研いだ爪を突き立て、牙で止めを刺す。ハンティングにおける高揚感、すなわち目標達成への過程の幸せが欠け落ちているのだ。
とはいえ、カリカリが貰えるだから、その点では恵まれているし、与えられる餌が正直、生肉よりもうまいことは事実だ。では他のメンバー達はどう思っているのだろうか。
人間と違い言葉を持たない猫のこと、推測でしかないが、おそらく空き地に君臨するボス猫のゴン太なども退屈さを感じていると思われる。彼の場合はアランの言う「王は退屈する」というやつだろうが、いずれにせよ人間の幸福感と似通っているというべきだろう。
いつもゴンタに戦いを挑んでいるシロの場合はどうだろう。
俺はシロがゴン太の目を盗んでミケタンとこっそり情事を重ねているのも知っている。彼の場合、食料、健康、愛情が揃っているので満足しても良さそうなものだが、いつも眉間にしわを寄せ、すきあらばこの空き地のボスになろうと画策しているのだ。負けず嫌いなのだろう。
ラッセルはそういった場合、結果は受け入れるべきで、他の人(猫)とは違った道を求めるべきだと言っている。しかし、すぐにあきらめてしまうのも問題だというので、案外シロの行動はしっかりとした猫道を歩んでいるのかもしれない。
一方、俺の場合は問題が多い。戦いを避け続けて来たことで、この空き地における地位は最悪。クロエのそばに寄っただけで彼女からネコパンチを食らわされる始末だ。
ならば、この状況を打破するために、一度行動を起こさねばなるまい。
天は自ら助くる者を助く。望むものを手に入れたければ山をよじ登らねばならない。
無論、ゴン太やシロにそのまま立ち向かったとしても勝てるわけもない。
要は彼らを去勢手術で、おとなしい猫にしてやればいいわけだ。
俺は地域のボランティアの人たちが、避妊去勢手術の為に仕掛けた箱の前で、いかにも美味しい肉を食べたという演技をしてみせた。すると、日頃は警戒心の強いゴン太が、乱暴に俺を押しのけて箱に入り、まんまと捕まったのだ。
俺が罪の意識を感じたかって?
ぜんぜん。これは、しょうがないことなのだ。
しかし、ゴン太が騒いだためにシロをもうひとつの箱に押しこむのは失敗。ゴン太も手術を済ませると、すぐに帰ってきたし、結局、俺が最下位の地位であるのは変わらなかった。いくら考えてもどうにもならないこともある。「まあ、いいか」と思うことにした。
「なるほど。高梨君のおかげで興味深く猫における幸福感を観察させてもらったよ」
急に頭上が明るくなり、目を覚ますと俺は研究室の中にいた。
頭頂に電極がいっぱい付いたヘルメットが被せられている。
ここは動物の行動学をバーチャル空間で観察する施設で、俺は博士の雇われ助手なのだった。
では、次は『大海を漂うクラゲは空間幾何学を理解し得るか』というテーマで、バーチャル実験をやってみよう。
博士は喜々として次のプログラムにとりかかった。
猫の場合は結構疲れたが、クラゲだったら楽そうだし、それでいてお金が稼げるので俺は構わないが、バーチャルは本物ではないし、そもそもクラゲに脳なんてあるんだろうか・・・。
俺はふと、この研究に疑問を持った。
( おしまい )
作品名:猫にとっての幸福論 作家名:おやまのポンポコリン