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高麗の風に吹かれて~京都で韓国を体感できる高麗美術館探訪記

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『高麗の風』

 その美術館の存在を初めて知ったのは、ほんの一週間ほど前のことだった。「高麗美術館」。京都の大学時代、同じ寮にいた友達が岡山に来るというので、ついでに私の住む町に来た時、聞いた話だった。折しも高麗時代を舞台にした初めての作品を執筆中だということ、更には私自身が一週間後に京都に行く予定であったということ、どれもが偶然にとしては符合しすぎているような気もした。
 当初は各駅停車の在来線での旅を予定していたものの、はたと考えた。今回、その美術館に行かなかったとしても、また京都に行った別の機会のときに行くことはできるだろう。だが、高麗時代を舞台にした作品をそうそう書くとも思えない。そのただ中に、高麗美術館の名前を友人からたまたま耳にしたのは、大げさなようだが、やはり半分は必然のようにも思えた。
 考えた末、私は予定を調整し、当日に高麗美術館に行くことを決めた。そのため、在来線から新幹線の旅に切り替えることになった。午前中に高麗美術館に赴き、最初は午後早くから入れていた本来の予定の開始時間を1時間半ほど延ばして貰った。
 美術館は北区にある。JR京都駅からだと市バス九番の「下加茂車庫」行きに乗れば、直通で行ける。大体、三十分から四十分ほど乗り、「加茂川中学前」で降りた。事前に℡で詳しいことを訊ねていたので、バス停を降りたらすぐに看板が見つかった。真っすぐ歩いていくと、直に建物が見えてきた。
 いかにもマニアックというか、普通の美術館とは違う趣の門前だ。そのどこかノスタルジックな高麗美術館の門の前に立った瞬間、私は高麗時代にタイムスリップしたような錯覚に囚われた。通用門を入ると、当時の貴人のお墓を模したという石造りの像や石塔がひっそりと建っている。門をくぐって中に進むと、たくさんの石像がお墓(レプリカ)を守るように居並んでいる光景が少しだけ私を圧倒した。
 ゆっくりと眺め回す私の側を涼しい風が吹き抜けてゆく。みずみずしい緑と苔むした石の穏やかなコントラストがひろがっている。梅雨の狭間のくもり空が京都にはひろがっていた。湿った空気を含んだ風は現代のものでありながら、現代のものではない。その刹那、私は確かに、かつて高麗時代に吹いていたであろう懐かしい風を肌で―五感で感じたのだった。
 眼を閉じると、高麗時代に生きた人々の囁きが聞こえてくる。朝鮮時代とは違う服装をした人々が賑やかに行き交う町の様子や、華やかに繰り広げられた王宮絵巻がゆっくりと浮かんでは消えていった。
 頭上で、鳥がするどく鳴いた。その声が私をはるか昔の時代から、この現代へと引き戻す。次の予定があることを考えれば、そうそうのんびりとしていられない。私は慌てて石像たちに背を向けた。
 高麗美術館で行われたていたのは、「仏教の輝き、青磁の輝き」展だった。四月から七月まで長きにわたって行われているらしい。私は趣味で多少仏画をやっているので、仏画や仏像にも大いに興味がある。やり始めたばかりの頃はさほどでもなかったのだけれど、長くやっていると巧拙に拘わらず、「仏」についてもって知りたいと思うようになる。といえども、何も難しいいわれなどを知りたいのではなく、たくさんの仏様を見て、その表情やお姿を心の目に鮮やかに焼き付けておきたいのだ。
 本当はこの仏様の名前は何で、由来はこうで等々、知識として持っている方が望ましいのだろう。しかし、私の持論は何事も難しすぎると長続きしないというのがある。言い方を変えれば、あまりに高みを望みすぎると、かえって意欲を失ってしまうということだ。それでは進歩がないと言われても仕方はないが、何事も無理せず自分のレベルやペースに合わせて続けてゆくのがいちばんだと思っている。幾ら高い理想を掲げてみても、続かなければ意味がない。

 なので、こういう仏様を見るときも、難しいことは考えない。理屈抜きにただ仏の姿を拝観し、そのお顔を見て持つのは「この仏様は優しいお顔をなさっている」―とても単純な感想だ。隣の仏様を見ると、その表情の違いは更に明確になる。厳しいお顔をしている仏様もあれば、柔和というよりは可愛らしい、無邪気ともいえるお顔をされている仏様もおられる。そういう違いを心に刻み込んでおくのである。また、纏っておられる衣の優美な曲線なども見ておく。
 何年代にどこで創られたかということも大切だけれど、自分が今度仏様を描くときに、高麗美術館で拝見した仏様のお顔が浮かんでくれば、わざわざ見に行った価値は十分あると思う。
 今回は青磁器や仏像、仏画が中心に展示されていたが、どの仏様もあまり厳しい顔をさている方はいなかった。むしろ、優しいお顔や可愛らしいといっては罰当たりだが、そういう雰囲気の仏様が多かった。
 昔の韓国と仏教の関係は複雑なものがある。朝鮮王朝時代は儒教の考え方を国の基本としたため、仏教はむしろ排斥される対象となった。しかしながら、高麗時代にはむしろ仏教は手厚く保護された時代であった。数々の仏像が創られ、寺が建立された。
 そういう仏教文化華やかなりし時代の韓国で、この仏像たちは生まれたのである。そう考えると、何か不思議な郷愁めいた感情がわき上がってくる。それは最初に、博物館の表の墓(レプリカ)や石像を見たときの気持ちにも似ていた。
 韓国人というわけでもないのに、何故、そんな気持ちになるのか自分でも不思議だし、理解できない。もしかしたら、韓国の歴史が好きだからなのかもしれない。
 事前に美術館の方にお尋ねしたとおり、こじんまんりとした作りで、二階まで見て回っても1時間足らずで見学できた。二階は韓流時代劇でよく見かける両班の主人夫妻の居室の様子が精巧に再現されている。韓国時代劇好きの私は思わず歓声を上げてしまった。こ一階から二階に来ると、さながら高麗時代から一挙に朝鮮王朝時代に時を飛んだようでもある。ここは撮影は自由なので、写真を取った。壁に飾られている韓国の伝統民芸のポジャギやガラスに描かれたチマチョゴリ姿の女性が美しく印象的だ。二階では自由に写経できるスペースもある。時間があれば、もっともっと居てみたいような静かな心地よい空間だ。
 帰りは表の石像と一緒に自作を持って記念撮影。あたふたと帰る私を無数の石像たちが無言で見送ってくれた。
 この後、私は美術館の近くがたまたま大学時代の恩師のお住まいであったため、恩師を訪ねた。元々、私に文芸の道を進め、「東めぐみ」誕生のきっかけを作って下った先生である。事前に何の連絡も差し上げていなかった(時間の都合で立ち寄れないことも考えられた)ため、愕かせてしまって申し訳ないことをした。手紙ではご高齢のための不調を訴えられていたが、見た限りではお元気なので安心する。
 その美術館から十分と離れてない地元の方は「あまり行ったことがないんだよ、一度くらいは行ったかな」ということだった―笑。地元の人というのは案外、こんなものだ。私自身、地元の名園後楽園など、普段は行くこともない。日本三大名園といわれている割には、地元の人はいたって淡々としている。どこも似たようなものだと思う。