銀之助随筆集
手記 馴染みの喫茶店にて 二〇一六年五月二十八日
何かにつけて足しげく通った、お気に入りの喫茶店。その店の自動扉には、来月から店舗改装の為、全席禁煙席になる旨が書かれた張り紙が貼ってあった。
春も、夏も、秋も、冬も、夕暮れは強い西日に照らされる喫煙席の窓側に座り、外を歩く学生達の姿を眺めながら、私は煙草を吹かしていた。煙はエアコンの風に揺られ靡いて、幾年もの空気の中で、煙草の脂で黄色く染まったブラインドに、自分の煙草の歴史を染み込ませていく。
或る日は本を読み、また或る日は友人と、日常の愚痴を煙に含んで、胸の奥底に眠る苛立ちを、店一杯に吐き出していた。夏は涼しく、冬は暖かいこの席で、煙の果たす役割は、私に寄り添うように、気分に合わせて変わってくれた。
来月から、この席は禁煙に変わってしまう。黄色く汚れたブラインドはきっと、改装の際に本来のベージュの新品に替えられるだろう。喫煙席と禁煙席とを区切るガラスの仕切りは取り外され、脂でくすんだ窓ガラスは本来の透明性を戻し、より強い西日を店内に注ぐことになる。
そして何よりも、私はもうこの店に来ることはないだろう。普段は何事もない喫煙であっても、喫茶店に流れる空気の中で吸う煙草は、珈琲の香りと共に、私の感情に合わせて、一緒に悩み、喜んでくれるのである。煙にも、感情があるのだ。それをこの店では、もう感じることも出来なくなるのだから。
今日は生憎の天気だったから、いつもの強烈な西日によって、私の右頬がジリジリと焦がされることはなく、非情に心地よいエアコンのそよ風を受け、煙草を右手指に挟みながら、これを書いている。隣の喫煙者は、自分の煙草にはない匂いを放ち、エアコンの風に乗って、私の鼻をむず痒くさせている。こちらに背を向けて座っている老人は睨むように、非情に注意深く新聞を読んでいるが、指に挟んだ煙草の火種が気になって、何度も煙草で灰皿を叩いている。左向かいの女性は、しきりにスマートフォンを触り、液晶画面に煙を吹き付けている。この店の窓ガラスのように、脂で煙っぽくならないといいのだが。
この店を出るとき、余計に一本多く吸っておこう。下らない思い出かもしれない。だが、私が思う日常なるものは、煙が空気に溶け込むように、ゆったり、静かに、いつの間にかに、消えてしまうものである。この席で吹かした煙草の数を数えて、一本一本に込めた気持ちを振り返り、私は最後の一本を吸うのである。集大成となる煙草は、一体どんな味になるのだろうか。