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歩く

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『歩く』


 土砂崩れ防止ネットで覆われた岩肌が、左側をすり抜けていく。舗装された道路を挟んで、右側にはガードレールと崖があった。その上り坂を、ブルーバードは快調に走り抜ける。
 久しぶりの長野だ。村のみんなは土産をよろこんでくれるだろうか?


 三十年前に田祠村で生まれた圭介は、小さい頃から東京に憧れていた。田祠村は昔、戦に敗れた名将の落武者と手下達が亡命して作った集落と言い伝えられている。長野の山奥にあるため、村人の誰も山を降りた事がなかった。毎月一回、日焼けした行商人のおじさんが軽トラックでやってきて、衣類や食料などを売っていた。そして、村長の家に一泊するのだ。その日には圭介も必ず村長の家に泊まり、行商人から東京という街の話を聞いていたのだった。


 外はカンカンと日が照っているのに、車中はどこか寒い。何かが聞こえた気がして、後続車かとルームミラーに目をやった。急に体がブルッと震えたため、運転に影響しないよう圭介はエアコンのスイッチに手を伸ばした。
 インターチェンジから二時間。山道は、一本道から初めて分岐した。山を越える県道から外れ、コンクリートの傷んだ道に入る。複数の大木の枝がアーチの形に生い茂っていて、その中に入ると急に暗くなった。圭介はライトを点灯させる。青い朽ちた看板には、手書きで田祠村と書かれていた。


 学舎を卒業する日、同期生とタイムカプセルを埋めようという話になった。まだ村にいた頃だ。
「おいらは村一番の力持ちになるんだ」
「いくらお前でも二つ上のとっちゃんには敵わないさ。僕はいつか、えみりと結婚したいな」
「えみりちゃんはどうせ村長の家に嫁ぐだろう。無理だよ。圭介はどうするんだよ」
圭介は「いつか僕は東京に出るんだ」と打ち明けた。すると、急に友達が黙りこんだ。気まずくなって解散したが、そのことが妙に気になって、圭介は母に同じ事を話した。瞬間、母の顔が歪んだ。その日、圭介は家裏の物置小屋に丸一日監禁された。それ以来、圭介は怖くて東京の話をしなくなった。
 しかし、それが東京への興味を失う理由にはならなかった。行商人のおじさんに頼み込んで、次の日一緒に東京に連れて行ってもらう約束をしたのだ。子供心に綿密な家出計画だった。
 次の日、朝早く起きて村長の家に行くと、行商人の姿はなかった。村長は、もう帰ったと言った。呆気にとられて家に戻る途中、軽トラックがいつもの場所に止まったままである事に気付いた。その翌月から、行商人は来なかった。


 薄暗い道に一筋の光が見えたかと思うと、バッと木々が視界から無くなり、木造の家が見え出した。十年前と何も変わらないな。車は、村人達の集会場となっていた広場に入る。錆びかけた軽トラックが隅に止まっていた。と、鈍い音と共にブルーバードが何かに乗り上げた。圭介は何事もなかったかのようにエンジンを切ると、車から降りた。後部座席のドアを開け、大きめのボストンバッグを二つ引っ張り出す。重いバッグは広場に放り投げると、ドスンと音を立てて転がった。「さ~、土産だ」


 田祠村では家柄を重んじる傾向があったため、地位や田畑を子供に継がせることが生きる最後の勤めとされていた。圭介の母は子供に恵まれず、村では珍しい一人っ子だったため、東京に出ることを特に反対されているのだと思っていた。だから我慢していた所があった。
 しかし、そんなこんなで迎えた成人儀式の夕方、村人達の立ち話を聞いてしまったのだ。
「遂に殿の子孫も成人か」
「無事に迎えて良かったね。東京に行きたいとか言い出した時は、焦ったよ」
「あの母親、血を継いだ子供を一人しか産まなかったからね…」
間違いなく僕の話だと圭介は思った。
「しかし、よく騙し通せたね」
「ああ、あいつが殿様の血の跡継ぎだって知らないのは、この村であいつだけだもんな」
「殿様の血が途絶えれば、この集落に災いが起こると言われているからね。変なことを考えさせてはいけない、うまく飼い慣らさないと」
「おいおい、それじゃあ家畜と言っているようなものじゃないか」
「今更なにを言っているの。あれは家畜じゃない。圭介の血を守ればみんなが幸せに暮らせる…」


 圭介は成人儀式の夜、狂気に満ちて調理用包丁を振り回した。村人達は、止めようにも跡継ぎを傷つけるわけにはいかず、ただオロオロするしかなかった。村長はなんとか説得しようとする。
“君の血を守らねばならない。君の血を絶やす訳には行かないんだ”
その言葉は圭介の神経を逆撫ですることになった。圭介は、村人達に騙されていた事と、東京に行かせてくれなかった事と、何より人として扱われていなかった事にカッとなり、さらに暴れ回った。
 どれくらい経っただろう。気付けば赤い血が広場の至るところに散っていた。成人儀式は、圭介のでも同期生のでもない、殿様の血の儀式だったわけだ。月明かりに照らされた成人儀式の飾りつけ達は、首を異様な角度に曲げながら倒れていた。


 広場には白い骨が散乱している。死んだ目で暫くその一つ一つを見渡すと、圭介は車のバックドアからゴミ袋を十袋取り出した。中には、昨日徹夜して摘んだ花が詰まっている。花はところどころが黒ずみ、枯れかかっていた。それをまるで花吹雪のように「ほらっほらっ」と骨の上に撒いた。
 圭介は十年前のあの日、自分が名将の落武者、いわゆる殿様の直系の子孫である事を知った。そして、村人全員が僕を手なずけて殿様の血を守ろうとしていたことも知った。行商人のおじさんも村人に始末されたのだろう。


 成人儀式の後、東京に出た圭介は職を見つけ、一年後に出会った女性と結婚した。娘は八歳になった。幸せな暮らしを手に入れたはずだった。
 しかし昨日、妻の日記を見てしまったのだ。「ああ殿様よ。男を産まなければ。“血を絶やす訳にはいかないのだから”」そう、偶然を装い出合った女性は、田祠村の村人だったのだ。成人儀式の夜、村長の指図でいち早く逃げていたのだろう。圭介は二つのボストンバッグに目をやった。また体がブルッと震えた。
 いつの間にか、あれほどあった土産の花がなくなっていた。ゴミ袋を落とすように離すと、圭介は車に戻る。すると、さっき骨に乗り上げた前輪がパンクしていた。


 成人儀式の夜、僕は十三時間歩いて山を降りた。仕方ない、今日も歩いて降りるか。
 まだ太陽は高いのに、体が震えやがる。寒い。なんて寒いんだろう。ふと背後からまとわりつくような強い力を受け、勢いよく転んだ。何かに取り憑かれたような青い顔をして、擦り傷から赤い血を滲ませた圭介は、それでも歩き続けた。


作品名:歩く 作家名:kuma