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回転木馬

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「ねえ、そこのボク。よかったらこれに乗ってみない?」
黄色いTシャツのお姉さんは、そう言って僕が思いきり支柱をけった回転木馬を手で示す。ここの遊園地のスタッフさんのようだ。
ついさっきのこと。僕がもらった風船を弟が割り、ケンカをして、気まずくなった僕は家族から逃げた。たどり着いたゲームコーナーの角で、のんきな顔をして休んでいる回転木馬に八つ当たりしてしまったんだ。
「やだよ、こんなボロのメリーゴーランド。」
ボソッと返して、お姉さんと馬を交互ににらんだ。ポニー3匹ばかりが百円で動く回転木馬は、あちこち色あせ黒ずんでいる。僕の手前の馬なんか、足が一本折れていた。何重にも巻いたガムテープが痛々しい。
「お金は払うから。ねっ?」
それでもお姉さんは引き下がらない。いったいなんでそんなに回転木馬に乗って欲しいのか不思議だ。
でもまあ、タダならいいかもしれない。僕はだまって目の前のポニーにまたがる。チャリン、と音がした。
「しゅっぱーつ、進行。」
きんきらした機械声と同時に、馬が上下しながら回り始めた。いつの間にかお姉さんが前のピンクと白の馬に座っている。お姉さんは電子音のワルツをハミングして、とても上機嫌だ。
「ずいぶん楽しそうだね。」
「君は? どうしてすねてるの。」
家族と風船一つでケンカしてはぐれた、とは言えずにうつむく。パパとママは、僕のことをさがしてくれているのだろうか。
「私はね、この遊園地とこのお馬さんが大好き。だからいつもここの前で風船を配っていて——。」
僕の返事を待たずにしゃべり始めたお姉さんが、かすかに声のトーンを落とす。
「ボク、まわりを見てごらん。」
顔を上げると、辺りにあった古いゲーム機やホッケー台がなくなっていた。いつの間にか回転木馬がある場所はゲームコーナーではなく、屋根のない外に移っている。さっきまで空も少し赤くなりかけていたのに、対して今は太陽が反対方向にある。朝か、せいぜい昼前の空だ。
「なんだ、これ・・・。あっ!」
木馬の近くで風船を配っている、赤色のワンピースの女の人と目が合った。それは確かにお姉さんの顔だった。なのに、僕の前にもお姉さんがいる。同じ人が二人いる。わけがわからなくなって辺りを見回すと、馬の足から傷やガムテープが消えたのに気づいた。
真っ白になった頭の中に、誰かの足音がした。その音が近くで止まる。
「うわっ、ちびっちゃいの。」
高校生くらいの男の人たちが回転木馬をのぞいている。みんな髪が茶色や金色で、派手な服を着ていた。
「みんなでこいつに乗ってやろうぜ。おい、お前らどけよ!」
一番体の大きい人がどなり、僕たちを内側に無理やりおろした。僕は真ん中の支柱にしがみついてがたがた震えていた。そのうちに、十人くらいの男の人たちがふざけて笑いながら、ポニーの上にしゃがんだり屋根にぶら下がって遊び始めた。
「やめてください。お馬にらんぼうしないで。」
ワンピースのお姉さんが必死に言っても、誰も聞かない。そして一人の人の足が、さっきまで僕の乗っていたポニーをけった。
ゴトリと音がして、そのとたん男の人たちが消えた。辺りが暗くなり、明るくなる。人が来ては去る。すごいはやさで巡り始めた月日の中に、いろんな人がいた。馬に石を投げる人、柱に落書きする人。どんな人が何をしても馬はただ回り続ける。その馬の目から一粒きれいな水がこぼれ落ち——そして回転が止まった。
元の場所と、夕方の空だった。
「ごめんね。びっくりしたよね。」
支柱にもたれかかったまま固まっている僕に、Tシャツのお姉さんが声をかけた。ワンピースのお姉さんはいつの間にかいない。
「ずっと前から今まで、お馬と私が見てきた景色。わかった? ボロにも理由があるの。」
何度もうなずき、僕はそっとポニーの涙をぬぐった。それから僕も目をぬぐった。
「ありがとう。   それなら、ボクの家族の景色もわかってあげられるよね。」
「えっ?」
「弟くんも、悪意で風船を割ったんじゃないと思うな。理由を聞いてあげて、仲直りして、今度は家族でこのお馬のところにおいで!」
なんで知ってるの。それに、『ずっと前』の見た目と全然変わらないお姉さんは何者なの? そうきこうとして横を見ると、お姉さんはもういなくて、変わりに赤と黄色の二つの風船が支柱でゆれていた。
ふっとほっぺたがゆるんだ。流れ続ける単調なワルツにまじって、きんきら声が響く。
「また遊んでねぇ。バイバーイ。」
作品名:回転木馬 作家名:青木 紫音