『 天使の秘密 』
私の仕事は、お年寄りの世話をすることです。それを不満に思ったり、低い仕事と見たことはありませんでしたし、もちろんお年寄りに関しても同じでした。それが今でも私を不思議がらせる出来事であり、私はその日、空気に潜む闇を見たのです。
お爺さんは、いつも笑顔でした。「有り難う」が口癖で、頑固なまでに我を通す以外に難は無く、私にとっては有難いお客様だったように思います。自宅に伺い年老いた老人の世話をするなど若い頃は考えても観ませんでしたが、道に迷った先に現れたその仕事に文句を言うはずも無く、私は毎日笑顔で過ごしていました。勿論、お年寄りの笑顔が私の心を元気づけていたことは言うまでもなく、私はその裏の涙も恨みも見えていなかったのだと思うのです。
シャツを着替えさせることとおむつ交換が私の仕事で、一軒家の床と空気の寒さはマンション暮らしの私の知るところではありませんでした。何回か通ったある日のこと、ベッドの脇に大きくて立派な仏壇があるのが眼に入り、それから、きぃ、という音を耳にしました。見ると、押し入れの上の天窓が閉じたり開いたりしているのです。咄嗟にお爺さんに「あれ」と指差して伝えましたが、お爺さんは「UFO!」と少しずれた感想を述べ、私達は二人してぼんやりと蝶番帳と扉を見ていました。
「風が入ったのかも知れないねぇ」とお爺さんが言い、「守護霊かも知れないですね」と私は答えて片付けを終えました。あの扉は相変わらず一定のリズムを保ちながら動いており、私はようやく少し怖くなりました。お爺さんの部屋を出る瞬間、腕時計がかしゃりと音を立てて解け、それが丁度、部屋の敷居を跨いだその時だったことも私の記憶に残る事実であり、私の胸の鼓動は早くなりました。
いつもよりも寒い道や、風でばたばたする扉、そして腕時計という小道具などが私の記憶の全てであり、私はそれから少し大人になったような気がします。お年寄りをお客様とすることの当然が疑問となって私を捉えて離さない、ある初冬の日の出来事でした。
しばらくして、私はその土地を離れ、隣の県で働くようになりましたが、「有り難う」の言葉を聞く度に思うのです。あぁ、蟻が十匹という意味だったんだ。確かに私はその頃、それくらい働き、お爺さんはそれをとても感謝していたと思うのです。