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本当に捨てたいのは

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『本当に捨てたいのは』

昼休みのことである。十歳年下で大学の後輩であるアカネがそっとアリサに聞く。
「先輩は結婚しないんですか?」
「結婚? 結婚はまだよ。何で、そんな話をするの?」
饅頭のような顔をしたアカネより、アリサは自分がはるかに美人だと思っている。そのうえ十歳も年上である。当然、自分の方が先に結婚するものだと思っていた。少なくともアリサから結婚するという話をされるまでは。
「実を言うと、私、急に結婚することにしたんです」とアカネが嬉しそうに言う。
 アカネが結婚? 何かの間違いでしょ! そう言わんばかりの顔でアカネを見る。
「え! そうなの?」
「子供ができてしまって。もう妊娠三か月です」
 子供までできている! そう聞いてアリサは卒倒しそうになった。 
「この人」とアカネが嬉しそうに写真を見せる。
 驚くほどのイケメンである。だが、たいした奴ではないだろう。その辺の町工場に勤めるアンチャン程度だろう。
「どこに勤めているの?」
「商社Xです」
 商社Xと言えば、日本有数の大企業でないか! 何かの間違いではないか。いや、間違いであって欲しい。
「あの日本を代表する商社X? そこの派遣社員?」
「一応、正社員です」とアカネは嬉しそうに言う。
アンパンマンみたいなアカネが一流会社のイケメン男性と結婚。しかも正社員で、子供までできている! アリサは羨ましくて、悔しくて、発狂しそうになるのを必死に抑えた。
「旦那さんは高卒?」
 思わず聞いてしまった。きっと高卒で運よく商社X入れただけと勝手に判断した。
「いえ、一応、W大です。何でも政経学部とか言っていました」
 W大といえば一流大学ではないか。それも秀才が集まるという政経学部! エリートの中のエリートがなぜアンパンみたいなアカネを選ぶ? くらくらして、自分を支えるのが限界に近かった。
「良いわね。ところで、どこに住むの?」
「駅前のタワー型マンションです」
 つい最近できたばかりの新築の高層マンションである。会社まで五分もかからないところにある。それに引き換え、アリサは一時間に数本しかないローカル線で片道一時間かけて田舎町から通っている。
「結婚式は二か月後です。先輩も来てくれますよね?」
「できる限り、行きたいと思っている」とアリサは微笑む。
「良かった。向こうの方の参加者がとても多いから、同じように出席者数を合わせるがとても大変で困っています。絶対に出てくださいよ」
 心の中では、単なる数合わせか! と憤慨するものの、そこは大人のアリサだ。
「できる限り、行くようにする」と微笑む。
「お願いしますよ」とアカネは深々と頭を下げる。
アリサは、「誰が行くか!」と怒鳴りたかったが、そこは大人アリサ。微笑みを浮かべ、「分かったわ。まかせて」と言って背を向ける。

アリサは自分の席に戻り、頭の中を整理してみた。
アカネは雨が降っても大して濡れることもなく家に着く。帰ったらイケメンの旦那がいる。やがて、赤ん坊が生まれて、家族三人で楽しく過ごす。それに比べて自分はどうだ。一時間に数本のローカル線で、一時間乗ってようやく小さな駅に着く。さらに二十分も歩かないと家に着かない。周りは水田だらけで、夏の夜ともなれば、やぶ蚊が容赦なく襲ってきて刺す。家に帰れば、アルバイトで疲れた父親が、さえない顔で晩酌している。ろくに会話もないひと時があるだけだ。

アリサは大学を卒業すると、上京し独り暮らしをした。美人で賢いということで、いろんな男に言い寄られたが、二十七歳のとき、バスケット部に所属する同期の男と恋に落ちた。当然肉体関係も結んだ。五年間、彼女なりに尽くしてきた。三十二歳になり、言い寄る男もいなくなったが、気にはしなかった。彼と結婚するつもりだったから。だが、彼はアリサよりも十歳も若い後輩を選んだのである。酔いながら彼は言った。
「アリサも美人だが、やはり若い女がいい。みずみずしい。年齢の差はどうにもならない。実をいうと、K子が妊娠して責任をとる形で結婚するはめになってしまった。君には申し訳ないと思っている。余計なお世話かもしれないが、早くいい男を見つけた方がいいぞ。まだ三十二だ。今ならまだ売れる。特売品としてなら」と悪態をついた。
その瞬間、アリサの中で何かが音を立てて壊れた。かろうじて張り手を一発食わせるのが精いっぱいだった。
「その負けん気が嫌いだった。嘘でも弱い女を演じて欲しかった。君に欠けていたのはそれだよ」
確かにアリサは美人で毅然とした生き方をしてきた。決して弱さを見せることもなかった。だが、若い娘の方に恋人を横取りされたことで、そのプライドも音を立てて壊れてしまった。ちょうど、躓いて、持っていた陶器を落として壊れたように。
バスケット部のエースを殴ったという噂が広まり、会社に居づらくなり辞めた。恋人に振られたことで、自殺でもしようかと思い詰めていた、ある日、近くの安っぽいアパートで、若者が手首を切って死んだ。警察が来て、たくさんの野次馬が囲んでいた。アリサもその野次馬の中に入った。帰った後、ずっとテレビを見ていたが、若者の死はニュースにもならなかった。東京では、ニュースが氾濫していたのである。若者は人目に触れることなく現世から消えたのである。あっけない死を目の当たりにして、自殺するのは、馬鹿馬鹿しいと思い気を取り直した。
新しい勤め先を見つけた矢先のこと、母が脳梗塞で倒れてあっけなく急死した。父親一人ではかわいそうだと思い実家に戻った。三十三歳のときである。
実家に戻り、やっとの思いで今の会社を見つけた。小さな会社の事務だが、三年間、一生懸命やってきた。その一方で若い娘に負けないように美容に気を使い、密かに婚活パーティにも参加してきた。何とか四十になる前まで相手を見つけ、できれば子供も作りたいと思っていたからである。ところが、三十七歳になったというのに、結婚相手どころか恋人もいない。アリサから見れば、小娘程度のアカネが先に結婚するというではないか。前の恋人の言葉が蘇る。「君も美人だが、やはり若い女がいい」という言葉が。でも、若さだけが。いや違うだろう。守ってあげたくなるような弱い女を演じていないということか。そういえば元彼も「嘘でも弱い女を演じて欲しかった。君に欠けていたのはそれだよ」と言った。だが、今さら弱い女を演じられない。

 アカネから結婚するという話を聞いてから、まともに見ることができなくなった。彼女を見るだけでイライラして自己嫌悪に陥ってしまうからだ。そんなアリサの心を見透かすようにアカネが嬉しそうに話しかけてくる。ちょうど、じゃれつく子犬のようだ。昼の食事をしているときである。
アカネは容赦なく話かけてくる。
「先輩、本当に彼氏とかいないんですか? 先輩ほどの美人なら一、二人いても不思議じゃありませんよ」とほめているのか、貶しているのか分からないようなことを言う。
往復三時間の通勤では、出会いがない。飲み会に行っても、一次会で退散しないと、最終電車に乗り遅れてしまう。そんな日々にどんな出会いがあるというのか。婚活パーティに出ても、どうしょうもない男ばかりだ。
アリサの首を絞めて聞いてやりたい気持ちをぐっと抑えて、
作品名:本当に捨てたいのは 作家名:楡井英夫