不夜城のかざりつけ 第七夜
って言ったら恰好いいが、要は寂しいだけである。ああ酒が飲みたい。
昔通っていたバーの客にスティーヴという変な外人がいた。
特技、無差別電話。
誰彼かまわず電話して
「サビシイヨー、アソボウヨー」。
一度など女の子の家に(当時携帯電話を持っている人はあまりいなかった)電話して、出た家族の人に
「タナカデスケドー、〇〇チャンイマスカー」。
すがすがしいまでのカタコトの嘘だ。
だが、大人のあなた、人に言えますか。直球に。
「寂しいよ、遊ぼうよ」と。
まあ、とてつもなくピュアな奴だった。
/ビートルズのレット・イット・ビーをループでかけている。
それはやっぱり寂しいからだし、この歌詞から今も強く放射されているあたたかなメッセージを浴びていたいから。
「あるがままに」。
それは時に本能や愛よりも強い。
人間にいつか訪れる別れや孤独。
そこでこの言葉さえあれば、やってゆけるような気がする。
ビートルズもこの頃東洋思想にかぶれていたというし、これは一つの真理なのだろう。
唱えてみる。あるがままにと。
/晩ご飯は豪華だった。
鰹のたたき(300円しなかった)、小松菜とあぶらげと桜海老の煮びたし、
納豆、しじみ汁。
おお。一汁三菜。だがうちでは「一菜」ということがままある。
ま、生活保護家庭だからこれくらいでもう「お?今日なんかあったの?」
みたいになる。
先日「バイキング」を視ていて、「主婦に魔の手を伸ばす【ソフト闇金】」なるものの存在を知った。
トイチ・トサンよりきついくらいの金利で、最終的には主婦を泡姫(アリエルじゃない方)にさせたりしながら取り立てていくが、ホストみたいに優しい(ソフト)らしい。
驚いたのは主婦がなんでそれに手を出すのかという資金不足の理由。
第一位は圧倒的に「食費」
なのだと。
それも一万二万の不足なのだそうだ。
ええええ?そこ?一番絞んないそこ?
かんがみる。
結婚してから、貯金ができるようになった。
それまでは、できなかった。
何かというと外で飲むので、雀の涙のペイなんかすぐ蒸発する。
だんなさんは完全自炊完全家飲み無駄なもん買わない、本当に仲のいい数少ない友達としか付き合わない人。出納をきちんと把握するようにしている。
広告や店頭を見比べて買い、予定外の物に手を出さない。
添って初めて「ははあん、貯金ってこうやんのか」とわかった次第。
ふわふわだんだんと雪が積もっていくように、少しずつ(保護費だけだから本当に少しずつ)積もっていく。
スーパーのレジに並んでいて、カゴ満載の人のカゴをついじろじろ見てしまう。
「うわー、すごいお金持ちなんだあ・・・」と。
あれはもしや。
ソフト闇金か。
たった一万で地獄に堕ち、たった千円の我慢で安心と夢を買う。
わたしが知った道は、夢には遠いけれど楽しい夢だ。
夢にまでたどり着かないかもしれないけれどもふかふかと安心だ。
でも、わたしも、一歩間違えれば・・・。
それは不倫にも似た禁断なのかもしれない。すべてを失うドアの黒い鍵。
/音楽を変えてビリー・ホリデイにしました。
「奇妙な果実」の歌詞はあまりに衝撃的だ。晩年はヤクでぼろぼろだったことくらいしか知らない。
古いジャズが好き。
つまりビッグ・バンドの楽し気なものが大好きなのだ。
一番好きなのはルイ・アームストロングで、聴くと愁いが羽ばたいて飛び去るような感じがする。
そういう音楽を知ったのはラジオからだったが、懐かしくてたまらない、というのが初めて聴いた時の印象だった。その手の映画も観たことがないのに。
不思議な記憶がある。
わたしはわたしが生まれる遥か以前、20世紀初頭のアメリカの大都市の、どこかのナイトクラブに独り遊んでいる。頭にぴったりと被る銀色のスパンコールの帽子、ボヴ・カットの黒髪、きらきら光る銀色のフリンジの細身のイヴニングドレスを身に着けて。そちらこちらからダンスを申し込む手をやんわりと押し戻しながら、たゆたっている。
人々のさんざめくホールの前方にはそれこそルイ・アームストロングがやっているようなビッグ・バンドが華やかに演奏している。
わたしは煙草売り娘から煙草を買い、たけなわの会場を後にする。
そして独り車で帰途につく。
そこで、わたしは事故を起こして死んだ。
作品名:不夜城のかざりつけ 第七夜 作家名:青井サイベル