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私は窒息する

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微かに漏れる光に照らされ煌めくワインレッドを傾ける。グラスの口から零れた、一筋の糸のような緋がぬるま湯に薄まり、消えていく。湯に浸かった身体からもその成分も吸収しているようで、一層頭がぐらつく感じがした。
私は今でこそ常識人で通っているが、昔はずいぶんと変わった子供であったと、最近になって自覚した。恐らく父も母も、口に出さずとも相当手を焼いたに違いない。
今も続いている長風呂の習慣はこれでも短くなった方で、幼い頃は平気で三時間も四時間も湯船で遊んでいた。特別なオモチャがあった訳ではない、百円ショップでよく売っている砂遊び用のジョウロを一つ、たった一つ愛用していただけだ。
身体を洗うのも程々に、私はまず一度、頭のてっぺんまで水没した。ジワジワと、熱が髪の毛一本一本の間を縫って頭皮を包む感覚が好きだったのだ。
そして、水の中で息をした。口から出て行った泡が、幾つにも分かれて水面ではたと空気に還るのだ。その様子がこれまたお気に召していた私は、何度も何度も同じことを繰り返した。暫くして息苦しくなったらやめにして、少しの間何とは無しに白い天井を見つめた。
じっと見つめていると、白いと思っていた天井はカビが生えていたり、水垢がついていたりと意外と汚いものだった。壁も同じで、汚れの中で自身だけが綺麗になるという、至極当たり前で奇妙な世界を、私は愛していた。
ここまでが一時間程の内の儀式であり、それを終えて漸く私は気に入りのジョウロを手にするのだった。ブクブクと泡を吐くソレを、水没している私も周りからはこう見えているのか、と考えながら眺めた。
浴槽の底で窒息したジョウロは引き揚げるとき、ひどく重たかった。たぷたぷとプラスチックの中で波打つ湯は少しぬるくなってきていた。それを、また元の場所に返してやると随分上からの思考で、揺れる水面に注いだ。
数本の曲線は、不思議なことに、やたらと幼心に染み付いた。幾重もの透明な流れが、電球の発する光で輝く姿を私は虹と呼んでいた。そうとしか形容できなかったのだ。簡潔で、美しく、誰にでも理解してもらえる言葉は唯一、虹。
ただひたすら、シャーシャーと虹が湯船とぶつかって、再びまざりあう音を飽きることもなく聞き続けていた。
今ここに、あのジョウロはない。アレは小学校中学年の時にはもう使わなくなっていたし、知らない内に取っ手が折れてしまっていた。
だから風呂の時間は格段に短縮されて、長くて二時間程度のものになった。今のオモチャは安物の酒を並々と注いだ、いんちきなワイングラスだ。これを片手に、私は今日も変わらず頭のてっぺんまで水没してみせるのだ。嘗てと違うのは、右手だけが水面から突き出ていることだけ。
それ以外は何も変わらず、例のジョウロの様に、浴槽の底で窒息するのだ。ぶくぶくと泡を吐いて、突き出していた手から赤を零して。

私は、虹なのだ。
作品名:私は窒息する 作家名:Nagi