花火、そしてヨウコの思い出
タケオの妻ヨウコは治る見込みのない病で病院に入院した。夏の始まりのことである。病気のことは口には出さなかったが、どこか諦めたような寂しい顔をしていた。
タケオは仕事を終えると、病院にそのまま行き看病し、そのまま病院に泊まり、翌朝、病院から出勤した。
八月に入った。何日が過ぎた夜、電気を消し、横たわって、ぼんやりしていると、遠くからドーン、ドーンという音がした。何だろうと思って、そっと起きて、窓を静かに開けると、花火を次々と打ち上げられ、夏の夜空を染めている。
眠っているのかなと思っていたヨウコが、「私も花火を見たい」と呟いた。
一人では起きられないタケオ女をそっと起こしてやった。
毎日、毎日、変化のない生活をしていたヨウコは花火が見られて嬉しかったに違いない。タケオがそっと見ると、目にきらりと光るものがあった。
花火が終わると、「良かった」と嬉しそうに言った。
「もう寝るか?」とタケオが聞くと、
「もう少し、今夜はお話しに付き合って。遠い昔を思い出したの」と答えた。
「どんな昔だ」とタケオは聞く。
「初めて出会ったとき」とヨウコは微笑む。
――二人が高校生の夏のときである。出会いはバスだった。セーラー服を来たヨウコが乗りこむ。バスは慌てて発車する。ヨウコは座るとかばんから手鏡を取り出し、鏡をそっと覗きこむ。しばらくしてバスが急停車すると、手鏡が転げ落ちた。それをタケオが拾ったのが始まりだった。それからだバスの中で会話をするようになったのは ――
「あのバスは今でも走っているかしら?」
「人が住んでいる限りは走っているだろう」
「あなたが初めて好きだといったのは、同じように花火の日だった」
――夏祭りの夜だった。
7時を回って、花火が次々と打ち上げられた。 花火は鮮やかに夜空を染めては散っていった。
「人生は花火のようね」とヨウコが独り言のようにつぶやいた。タケオ女はまだ二十五歳だった。
年寄りめいた表現にタケオは驚き、「それはどういう意味だ?」は聞いた。
「父がそう言っていたのを思い出したの」
ヨウコの父はタケオ女が幼い頃に病死した。そのことをタケオは人づてに聞いていたことを思い出した。それ以上は知らない。それ以上知ろうと思ったこともない。
「父は花火が好きだった。最後の夏、花火の日、父が言ったの、“人生は花火のようだ”と。振り返るとあっという間だと言うの。だから、自分を大切にしなさいって言った」
ヨウコの方を見た。いつも陽気でおしゃべりなヨウコとは別の顔がそこにあった。微笑んでいるように見えるが、それ偽り仮面だった。仮面をとったら、今にも泣き出しそうになっている顔があった。
「そんなものかな。俺には分からない。ただ、こんなふうに華やかな色は実にもったいない気がする」
ヨウコは笑った。
「どこまでいっても堅実の人ね」
「嫌いか?」
「好きよ」
「俺もヨウコのことが好きだ。結婚するならヨウコと決めている」
それから数日後に結ばれた。――
「みんな遠い日の思い出になってしまった。でも、良かったと思っている。良い思いを抱きしめて死ねるから」
「まだ死ぬと決まったわけじゃない」
ヨウコはタケオの手を取った。
「あなたは昔から嘘をつけない人ね」と微笑んだ。
「あなたに悪いことをした」とヨウコは泣き出す。
「どうして?」とタケオが聞く。
「だって、私がわがままを言って、こんな田舎に引越したのに、私が死んだら、独りぼっちになる」
「独りは寂しいわよ。若い頃、あなたはよく出張した。夜、一人で何をしていたと思う。二人の写真をよく見て過ごしたの。あなたがいない夜は寂しくて。でも、電話をしなかった。夜、遅くまで仕事をしているあなたに迷惑をかけたくなかったから」
「余計な心配は体に毒だ。もう寝た方がいい」
「本当に独りになっても寂しくない?」
「寂しいに決まっているさ。でも、そんなに簡単にヨウコは死なないよ」とタケオは言うと、
「私もそう思う」と嬉しそうにヨウコが呟いた。
数日後、ヨウコはこの世を去った。
花火の季節が来ると、嬉しそうに見ていたヨウコを、タケオは思い出さずにはいられない。
作品名:花火、そしてヨウコの思い出 作家名:楡井英夫