サンタクロースが来た!
『サンタクロースが来た!』
料理に励むトシオは、まるでストイックなアスリートのようである。ただひたすらに料理に打ち込む。そんな彼の姿にアキナは惚れてしまい、今では、週に二回、アキナの部屋で愛し合う仲だ。
十二月、珍しく東京に雪が降った。
二人は裸で寄り添い、雪が降るのを眺めている。
「トシオ、私たちは恋人だよね?」
アキナが呟いた。
「どうして、そんなことを聞く? こうやって、愛し合っている」と裸のアキナを抱き寄せた。
「そうだけど、良く考えたら、私はトシオのこと、何も知らない。どんな過去があったのか、何も知らない?」
「知る必要はあるか?」
「あるよ。結婚するなら」
「結婚なんか一言も言ってないぞ。今の俺は結婚なんて考えていない。したいなら、他の男を見つけろ!」
トシオはイタリアから戻ったばかりで、知人の紹介でイタリア料理店に働いている。アキナは、同じ店でウェイトレスをしていて料理長の娘でもある。
店では、彼は料理のこと以外の話をしない。それゆえ、店で彼のことを知る者はいない。肉体関係を結んだアキナさえ、何も知らない。どこで生まれたかさえも。だが、アキナは知っている。彼が人を騙そうしているのではなく、今は料理以外余計なものを背負いたくないだけだということを。
「嫌だ。離れない」とアキナは抱き着いた。
貧しい姉妹、十三歳のアンナと八歳のマリがいる。二人は郊外の日当たりの悪い安アパートの部屋で母と暮らしている。何もかもが満足に買えない。二人ともそれを知っている。だから、欲しいものは何も言わなかった。だが、その冬、アンナの欲しいものがあった。コートである。中学生になって体が大きくなり、今までのコートは小さくて動きにくいのだ。欲しかったのは、雪のように白いコート。近くの店で売っている。アンナは新聞配達のバイトをしていたから、無理をすれば自分の金で買えないことはなかったが、しかし、少しでも自由になる金ができると、将来、専門学校に行くために貯金をしていたのだ。自分の夢を叶えるために、我慢していたのである。
マリがアンナに「今年もクリスマスが来るね。うちにも、サンタクロースは来いかな」と無邪気に言った。
「いつか来るけど、でも、今年は無理だと思う」とアンナが呟くように言った。
「友達は、みんな、来ると言っていた」とマリが言う。
マリがまだ言葉を話せないときの話だ。アンナもサンタクロースがプレゼントを運んでくると信じた。周りの友達には届いたのに、自分のところには届かなかった。毎年、クリスマスの日になると、母親に分からないように泣いていた。そして、今はもう分かっている。この世にサンタクロースなどいないことを。でも、マリはまだ幼すぎて、サンタクロースがいることを信じている。
「きっと、来るよね。サンタさんは、うちにも来るよね、姉ちゃん!」
アンナは何も言わず微笑んだ。
クリスマスが近づいてきた、五日前のことである。
クリスマスの三日前の夜、トシオとアキナは店を休み、店の上客であるヤマシタ・タケルと一緒に飲むことになった。タケルは大富豪の息子で、店の上客でもある。有り余る金があるが大人になりきれていないガキのような男である。いつも取り巻きのX、Yに囲まれて王様気取りでいる。チビであることを恥じているのか、女をまとも口説いたことがない。アキナ惚れているがうまく打ち明けられない。アキナが酒好きだというのを人づてに聞いて、酔わせれば口説き落とせると思い誘ってみたのである。アキナ一人だと警戒すると思い、料理の腕が良いと評判のトシオも「一緒に飲みにつれてやるから、ついて来い」と強引に店を休ませたのである。
タケル、X、Y、トシオ、アキナの五人が夜の六時から飲み歩いた。八時を回ろうとしていた頃、繁華街は人混みでごった返している。そんな中を、トシオとXが中心となりバカ騒ぎをしながら練り歩いていた。
ふと、トシオが立ち止まった。
「財布を落とした」と喚き、慌ててコートの中を探して始め、みんなであたりを探していると、アンナが近寄ってきた。
「これ」と言って、アンナが拾った財布を差し出した。財布を落とすところを見て拾ったと言う。
酔っていたタケルは感謝するどころか、財布の中を見て、「おい、一万円足りない! 盗んだか?」と泥棒呼ばわりをした。
アンナが悔しそうに泣いた。そこにマリが近寄ってきて一緒に泣いた。
取り巻き連中の一人であるXが迷惑そうに「早く、消えろ」と手であっちへ行けという仕草をすると、二人は消えた。
「本当に一万円消えました?」とトシオが聞いた。
「勘違いだったよ」とタケルは狂ったように笑った。
「あの女の子、悔しそうでした」とトシオが言った。
タケルは「少し遊んだだけだ」
トシオが「謝った方がいい」と呟くように言った。
タケルは「俺に“謝れ”と言うのか。誰のおかげで店が繁盛していると思っているんだ」と激怒した。
「そういう問題じゃないだろ」と、今度はトシオが怒りをあらわにした。
怒りが爆発そうなトシオを必至に抑えようとするアキナの姿に、トシオもXもYもすっかりと酔いがさめた。
「でも、あの子、とても小さくてぼろいコートを着ていた。あれはひどい貧乏な家の子だな」とXが言うと、タケルが馬鹿みたい笑った。
「くだらない連中だ」とトシオが呟くように言った。
「俺に喧嘩を売るのか。少しぐらい料理の腕が良いからといって調子に乗るなよ」とタケルが言い終わるのを待たずに、トシオが人混みの中に消えた。その後を追うようにアキナも消えた。しかし、アキナはトシオの姿は見つけることができなかった。
トシオは人混みの中で姉妹の姿を探したが見つからず、諦めて部屋に戻った。ジャズを聴きながら、トシオは少女のことを思い出した。切なく訴えるような目をしていた。謂われないことで責められたことに対する怒りの目だ。遠い昔、彼も貧しいゆえに泥棒呼ばわりされたことがあった。その時、同じ目で周りを見たことを思い出した。
しばらくして、アキナが電話を寄越した。
「タケルは最低だよね。親父が偉くて、お金も持っているから、何でも許されると勘違いしている」
「どうでもいいことだ。俺は店を辞めるよ。迷惑をかけるといけないから」
「どこへ行くの?」
「まだ決めていない。遠くに行こうと思っている」
「私を捨てていくの?」
「別れるだけだ」
「同じことじゃない。私を置いて行くの? もうじきクリスマスよ。悲しすぎる。置いて行ったなら、許さない。死んで、オバケになって、ずっと追っかけ回すから」
「馬鹿なことを言うな」
「本気だよ」
「別れたくなかったら、……」
「別れたくなかった何よ?」
「サンタクロースをやれ。お前ならできる。俺は大人過ぎて、とてもできない。お前はまだ二十代だ。何でもできるだろ?」
アキナは思わず、「本気で言っているの?」と聞き返した。
「俺はいつも本気だ」
クリスマスの前日、マリがアンナに「今年は、うちにもサンタクロースは来る」と無邪気に言った。
「サンタさんは忙しいから、うちに寄れない」とアンナが微笑む。
「だって、来ると言った。サンタクロースに会って約束した」とマリが泣いた。
料理に励むトシオは、まるでストイックなアスリートのようである。ただひたすらに料理に打ち込む。そんな彼の姿にアキナは惚れてしまい、今では、週に二回、アキナの部屋で愛し合う仲だ。
十二月、珍しく東京に雪が降った。
二人は裸で寄り添い、雪が降るのを眺めている。
「トシオ、私たちは恋人だよね?」
アキナが呟いた。
「どうして、そんなことを聞く? こうやって、愛し合っている」と裸のアキナを抱き寄せた。
「そうだけど、良く考えたら、私はトシオのこと、何も知らない。どんな過去があったのか、何も知らない?」
「知る必要はあるか?」
「あるよ。結婚するなら」
「結婚なんか一言も言ってないぞ。今の俺は結婚なんて考えていない。したいなら、他の男を見つけろ!」
トシオはイタリアから戻ったばかりで、知人の紹介でイタリア料理店に働いている。アキナは、同じ店でウェイトレスをしていて料理長の娘でもある。
店では、彼は料理のこと以外の話をしない。それゆえ、店で彼のことを知る者はいない。肉体関係を結んだアキナさえ、何も知らない。どこで生まれたかさえも。だが、アキナは知っている。彼が人を騙そうしているのではなく、今は料理以外余計なものを背負いたくないだけだということを。
「嫌だ。離れない」とアキナは抱き着いた。
貧しい姉妹、十三歳のアンナと八歳のマリがいる。二人は郊外の日当たりの悪い安アパートの部屋で母と暮らしている。何もかもが満足に買えない。二人ともそれを知っている。だから、欲しいものは何も言わなかった。だが、その冬、アンナの欲しいものがあった。コートである。中学生になって体が大きくなり、今までのコートは小さくて動きにくいのだ。欲しかったのは、雪のように白いコート。近くの店で売っている。アンナは新聞配達のバイトをしていたから、無理をすれば自分の金で買えないことはなかったが、しかし、少しでも自由になる金ができると、将来、専門学校に行くために貯金をしていたのだ。自分の夢を叶えるために、我慢していたのである。
マリがアンナに「今年もクリスマスが来るね。うちにも、サンタクロースは来いかな」と無邪気に言った。
「いつか来るけど、でも、今年は無理だと思う」とアンナが呟くように言った。
「友達は、みんな、来ると言っていた」とマリが言う。
マリがまだ言葉を話せないときの話だ。アンナもサンタクロースがプレゼントを運んでくると信じた。周りの友達には届いたのに、自分のところには届かなかった。毎年、クリスマスの日になると、母親に分からないように泣いていた。そして、今はもう分かっている。この世にサンタクロースなどいないことを。でも、マリはまだ幼すぎて、サンタクロースがいることを信じている。
「きっと、来るよね。サンタさんは、うちにも来るよね、姉ちゃん!」
アンナは何も言わず微笑んだ。
クリスマスが近づいてきた、五日前のことである。
クリスマスの三日前の夜、トシオとアキナは店を休み、店の上客であるヤマシタ・タケルと一緒に飲むことになった。タケルは大富豪の息子で、店の上客でもある。有り余る金があるが大人になりきれていないガキのような男である。いつも取り巻きのX、Yに囲まれて王様気取りでいる。チビであることを恥じているのか、女をまとも口説いたことがない。アキナ惚れているがうまく打ち明けられない。アキナが酒好きだというのを人づてに聞いて、酔わせれば口説き落とせると思い誘ってみたのである。アキナ一人だと警戒すると思い、料理の腕が良いと評判のトシオも「一緒に飲みにつれてやるから、ついて来い」と強引に店を休ませたのである。
タケル、X、Y、トシオ、アキナの五人が夜の六時から飲み歩いた。八時を回ろうとしていた頃、繁華街は人混みでごった返している。そんな中を、トシオとXが中心となりバカ騒ぎをしながら練り歩いていた。
ふと、トシオが立ち止まった。
「財布を落とした」と喚き、慌ててコートの中を探して始め、みんなであたりを探していると、アンナが近寄ってきた。
「これ」と言って、アンナが拾った財布を差し出した。財布を落とすところを見て拾ったと言う。
酔っていたタケルは感謝するどころか、財布の中を見て、「おい、一万円足りない! 盗んだか?」と泥棒呼ばわりをした。
アンナが悔しそうに泣いた。そこにマリが近寄ってきて一緒に泣いた。
取り巻き連中の一人であるXが迷惑そうに「早く、消えろ」と手であっちへ行けという仕草をすると、二人は消えた。
「本当に一万円消えました?」とトシオが聞いた。
「勘違いだったよ」とタケルは狂ったように笑った。
「あの女の子、悔しそうでした」とトシオが言った。
タケルは「少し遊んだだけだ」
トシオが「謝った方がいい」と呟くように言った。
タケルは「俺に“謝れ”と言うのか。誰のおかげで店が繁盛していると思っているんだ」と激怒した。
「そういう問題じゃないだろ」と、今度はトシオが怒りをあらわにした。
怒りが爆発そうなトシオを必至に抑えようとするアキナの姿に、トシオもXもYもすっかりと酔いがさめた。
「でも、あの子、とても小さくてぼろいコートを着ていた。あれはひどい貧乏な家の子だな」とXが言うと、タケルが馬鹿みたい笑った。
「くだらない連中だ」とトシオが呟くように言った。
「俺に喧嘩を売るのか。少しぐらい料理の腕が良いからといって調子に乗るなよ」とタケルが言い終わるのを待たずに、トシオが人混みの中に消えた。その後を追うようにアキナも消えた。しかし、アキナはトシオの姿は見つけることができなかった。
トシオは人混みの中で姉妹の姿を探したが見つからず、諦めて部屋に戻った。ジャズを聴きながら、トシオは少女のことを思い出した。切なく訴えるような目をしていた。謂われないことで責められたことに対する怒りの目だ。遠い昔、彼も貧しいゆえに泥棒呼ばわりされたことがあった。その時、同じ目で周りを見たことを思い出した。
しばらくして、アキナが電話を寄越した。
「タケルは最低だよね。親父が偉くて、お金も持っているから、何でも許されると勘違いしている」
「どうでもいいことだ。俺は店を辞めるよ。迷惑をかけるといけないから」
「どこへ行くの?」
「まだ決めていない。遠くに行こうと思っている」
「私を捨てていくの?」
「別れるだけだ」
「同じことじゃない。私を置いて行くの? もうじきクリスマスよ。悲しすぎる。置いて行ったなら、許さない。死んで、オバケになって、ずっと追っかけ回すから」
「馬鹿なことを言うな」
「本気だよ」
「別れたくなかったら、……」
「別れたくなかった何よ?」
「サンタクロースをやれ。お前ならできる。俺は大人過ぎて、とてもできない。お前はまだ二十代だ。何でもできるだろ?」
アキナは思わず、「本気で言っているの?」と聞き返した。
「俺はいつも本気だ」
クリスマスの前日、マリがアンナに「今年は、うちにもサンタクロースは来る」と無邪気に言った。
「サンタさんは忙しいから、うちに寄れない」とアンナが微笑む。
「だって、来ると言った。サンタクロースに会って約束した」とマリが泣いた。
作品名:サンタクロースが来た! 作家名:楡井英夫