17歳 ギンブナと皇帝ペンギン~ギンブナの受精~
私が望む父親はいない,この世から消えてしまいたい女の子。四歳のときに、まるでくずかごにゴミを入れられるように父親に捨てられた。私が今死にたくても死ねないのは、私が小学3年のとき人が亡くなったらどうなるか身をもって教えてくれた祖母の、命の重さを実感しているからである。
わたしがママのお腹に入った時、わたしにはママの声が聞こえた。ママは、何かと歌っていて幸せが伝わってきていた。しょっちゅうママの温かい手の感触が感じられた。その度にわたしは温かい気持ちに包まれた。これが幸せだとはその時分からなかったけれど、ずっと気持ちよかった。
わたしがママのお腹の中に入って8カ月たったとき、ママの動きが極端になくなった。わたしの命を守るためにずっとベッドに寝たきりで動けなくなったのだ。このときママは時計もカレンダーも窓もテレビもラジオも読むものも書くものも歯ブラシでさえない自由を奪われた時の止まった分娩室にロボットのように寝かさせられていた。ママの思考は完全に子供を産むマシン化され、まともな人間の営みは最小限の栄養補給と寝たままの排泄のみであった。これ以上にママを苦しめたのは、面会謝絶と導尿と私の心拍を管理するお腹に巻かれた装置、それに腕と手の甲に刺された点滴であった。ママの側に寝かされていた他の妊婦たちは次々に赤ちゃんを産んでいき、ママはその人たちに「おめでとう」と何度もいい、短いが終わりの見えない癌と闘う様に気が狂いそうになる心の正気を保つため、歯を食いしばってお腹の私の事だけを考えていた。薄いカーテンだけで仕切られた両隣に顔も見えない見知らぬ出産直前の妊婦がいたから、ママはひと声も音が出せず、最早心の音楽も止まっていた。わたしは、ママのお腹に必死にしがみついていたが、まだ生まれる準備はできていないのに、どんどん苦しくなってきた。
ふたりがこのあなぐらにきてマシン化してどのくらいたったか、看護師がやってきて一刻も早く赤ちゃんがお腹の中から外に出なければならない状態まできたことがわかったがなぜかママは未だマシン化された状態でお先がどうなるか分からなかった。それから当直医がやってきたあと薬が増量して投与され、ママの身体がもつかどうか不安になってきた。そのあとやっと、パパがやってきたがママからなぜか喜びは伝わってこなかった。パパが何か言うと、ママは腹を立てているようで怒りが伝わって来た。パパはいったいママの何が分かっていたのか、二人にお互い同等な愛情はあったのか。今となっては無かったと言わざるを得ない。
次に主治医がやっと来て、ママの周りがバタバタし出した。ママはやっとラクになれると嬉しさに満ち、最早人間に戻れるなら何でもする覚悟であった。医師によるとわたしの成長が人間として未熟だとしても、一刻も早くお腹から出なければならない状態らしい。当直医がきた時点で最早そこまで来ていたのに、何を今更。ママのお腹にシートベルトのように巻かれた検査器機も、ママの腕や手に手錠のように突き刺さった点滴も、一晩中眠らず点いている街頭のような光を頼りにしたベッドだけの空間に、まるでパン屋の棚に陳列された商品のように寝かされていたのも、看護師以外は誰ひとり想像できないだろう。「小説が書けますね」とある看護師がママに言った。わたしにはおバカな皮肉として唖然としてあきれたものだが、素直なママはそうですねと笑って言った。
わたしとママは、この空間に入ってからずっと苦しかったんだ。この空間には、いったい何日前にはいったのだったのだろうか?今は何日?今は何時?全然分からなかった。歩いても歩いても目的地に着かない遭難した登山者のようだったが、たったふたりで支えあってなんとかこの世にしがみついていた。
作品名:17歳 ギンブナと皇帝ペンギン~ギンブナの受精~ 作家名:ERIKO,NAKA