働く人
芋熊さんは、かなりの下戸らしい。
一品料理や酒のアテがメニューに多く、(秀寿司の主人は、言い訳のように、いつかは寿司一本で… と、メニューの豊富を褒めるお客に言う。褒められているのだから、それが売りなんですとか、ありがとうございますとか、笑顔で応えればいいのに、と思う。寿司一本のメニューは、もっと高級なお店に任せておけばいい。)壁にはキープボトルがずらりと並ぶ秀寿司に来るお客には、圧倒的に酒飲みが多い。
芋熊さんは、ウーロン茶しか頼まない。
ウーロン茶とともに、これでもかという数の一品料理と、寿司を一人で頼み、一人で食べきる。
赤貝、甘海老、太刀魚の造り。メバルの煮つけ、かんぱちのサラダ、タケノコの天ぷら、玉ねぎと人参とサクラエビのかき揚げ、小芋まんじゅう。タコ、中トロ、うなぎ、さより、エンガワの握り。新香巻、干ぴょう巻、なみだ巻。玉子の赤だし。
いつもと同じように、今日も沢山頼んでは、やって来た順にもくもくと平らげた。
ごちそうさまをして、あがりをすすりながら一言、
「明日から出張なんですよ。」
憂鬱そうと言うのでもないけれど、本気で明日のプールを嫌がる泳げない子供のような様子。
「どこに行かれるんですか。」と主人。
「九州ですね。」
「気の進まなそうな。」
「ですねぇ。」
「夜なんか、楽しそうじゃないですか。」
「夜?」
「お酒とか。…ああ、ご飯でも。」
「…そうですねぇ。まあ、仕事がうまくいけばねぇ。」
芋熊さんの一言に、今日学校でお弁当を食べた後にドーナツ二つを平らげたことを後悔して、バイト中もせこせこと、太らないか緊張しいしい動き回っていたよし子の肩の力が抜ける。芋熊さんの憂鬱に比べれば、なんだ、ドーナツ二つなんて屁でもないな、と。
肩の力が抜けて動きやすくなったよし子が、芋熊さんが帰った後、かえってさっきよりもてきぱきと片づけ物をしているときに、秀寿司の主人が呟くのを聞いた。
「俺も出張行きてえなぁ。」
聞けば、芋熊さんも足が軽くなるだろうか。