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本当にあったかもしれない怖い話

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 昔、私がまだ、女学生だった頃の事です。

 その学校には、踏み心地の悪い階段がありました。
 見た目は学校特有の、リノリウムの敷かれた、普通の階段に見えました。
 なのにそこだけ、その段だけ、踏むと少し柔らかいような、何か足が沈むような、そして靴底に何かがくっついてくるような、そんな心地がしたのです。

 私はその感触が嫌いで、階段は多少遠回りになっても、なるべくそこを通らないようにしておりました。

 ある日の夕方の事です。
 うっかり教室に忘れ物をしてしまった私は、友人を靴箱で待たせて、教室へととりに行く事になりました。
 一番近い階段は、その、踏み心地の悪い階段でした。
 いつもなら遠回りして避ける場所です。
 ですが、その時は友人を待たせていたものですから、贅沢はいえません。覚悟を決めて、私はその階段を走りぬけようといたしました。
 ええ、そうです。階段は、その時も、そこだけ、とても踏み心地が悪かった。
 けれども、そこだけですから。そこだけ過ぎればいいだけですから。

 私は急いで足を動かしました。
 ぐにりと、リノリウムのはずの段が、今日も沈むような、踵を包み込まれてしまったような、そんな感触がいたしました。
 いつもと同じ。ええ、同じでした。
 違うのは、その感触が、その日は足首まで広がったという事でした。まるで無機質な手に掴まれたような……。

 私は驚いて息を飲み込みました。
 下を見るのは怖かった。何故だか酷く怖かったのです。

 窓からは赤い夕日が差し込んでいました。リノリウムの深緑の上に、赤く赤く横たわっておりました。

 嫌な予感とは、まさにあのような感覚を言うのだと思います。

 けれども、どれだけ力を入れようとも、足はびくとも動かないものですから。
 掴まれているような感覚が、強くなる一方だったものですから。
 私は意を決して、下を見た。―――見てしまった、のです。

 そこには、にたりと笑った男の顔が広がっておりました。年は分かりませんが、鷲鼻の、やせた、きつい目をした男でした。
 私の足首は、その男の手に、しっかりと掴まれておりました。

 あのようなときというものは、驚いた、とか、怖い、とか、そんな言葉を当てられるほど、感情をまとめることは出来ないのですね。

 私はただ、滅茶苦茶に足を動かしました。
 体勢を崩して階段に倒れこみ、角でしたたかに肩をぶつけましたが、それを痛いと思う余裕もありませんでした。助けを呼ぶことを思いつきもしないまま、必死で手を階段の上の段につき、這ってでも逃れようといたしました。
 ですが、男の手は、一向に外れません。

 ぎりぎりと強くなる力に、足首には気持ちの悪い、何と言いましょうか、底冷えのする冷たさが、肌を刺しておりました。

 男の指は枯れ枝のように、堅く、細く尖っておりました。
 そして、万力のように力が強かった。

 戒められ、絞められ、縊られ、見る間に紫色に変色して行く足首に、近い内にこの手によって私の足は引き千切られるのではないか―――そんな考えすら浮かび、私は恐ろしさに囚われて身動きが取れなくなりました。

 ああ、ですが、この時の恐ろしさなど、思えばまだ可愛いものだったのです。

 目も離せず硬直したまま、木偶のようにただただ枯れた手を見詰めておりました私の目に、次に映ったものは、到底信じられるものではありませんでした。

 指が、ええ、その枯れ枝のような指が、私の皮膚を通り越し、足首の中に沈んでいったのです。

 骨身に染みる、つめたい感触がいたしました。
 身の内より感じるそのつめたさは、言葉の通り骨から直接感じているのだと理解した瞬間の、あの吐き気を伴った怖気といったら!

 なんとおぞましいことか。

 おそろしい、ではないのです。恐怖はまだ人を魅せる。けれどこの光景には、この感触には、全くの嫌悪感しか浮かびませんでした。

 私が震え、声すら出ないのをいい事に、男は乾いた唇をにぃやりと歪めますと、ずぶずぶと足首の皮膚に沈みこんで、消えて行きました。

「次は、お前」

 かさついた掠れ声で、その言葉を、残して。




 私が我に返ったのは、あんまりにも遅い私に業を煮やした友人が迎えに来てくれたときでした。
 慌てて自分の足を確認しましたところ、足首には細く堅い指の形の痣が浮かんでおりました。

 それだけ、でした。
 目に見えるものは、それだけ。
 次にあの階段を通りかかった時にはもう、男の姿はおろか、以前感じていた踵が沈み込むような感覚さえありませんでした。

 けれど、あれからずっと痣のある部分が、骨の、中ほどが、冷たい気がするのです。

 そしてそれが、徐々に、徐々に広がっていっているような気が、するのです。



 気のせいでしょうか。
 どうか、だれか気のせいだといってください。