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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 三、月の章

INDEX|47ページ/53ページ|

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 しかし先に記された、「明ける地平」が、「冥府の門」を示すものだとしたら、そこから「出で来る」ものを、誕生とは呼ばない。 
 そうしたとき、この節全体が意味するものとは……、
「冥府の門からの、再生――死者の、“蘇生”――」
 ケオルがいまだ信じられないというように、自らの結論を口にすると、
「そう。……それ以外には、ありえないわ」
 女神がいっそう色艶を増したその声色で、ゆったりと、言い放つ。
「馬鹿な……!」ケオルは思わず叫んでいた。「死者が蘇生するなど、そんなことはありえない。理《ことわり》を無視している!」
「お前の言う理《ことわり》、それは太陽神ホルアクティが生じさせたもの。それは、いまや打ち捨てられている」
「なんだって……」
「それが何を意味するか?」女神は、先ほどとは打って変わって、威圧的に言葉を並べ立てた。「それは、真の理すなわち『マアト』が、もはや太陽神の側にはないということ」
「……死者が蘇る、そうした時の可逆性が、お前たちの主『生命神ハピ』の掲げる理《ことわり》――それこそが、『マアト』だ、と……?」
「そう」 女神はきっぱりと、答える。「そしてそれは、すでに実現しているわ」
「……!」
 ケオルは無意識に、すぐ隣のキレスを見た。キレスは話の流れを完全につかんでいたわけではなかったが、ケオルが何を知ろうとしているのかはすぐに分かった。そうして無言で返す視線は、はっきりと、北の女神の言うことが事実であると告げていた。
 ――王の定めし時の秩序。真の理《マアト》。
 太陽神の定めたものとは異なる、生命神の理。それが、ほんとうに、実現していると……。
 そこから導かれるべき重要な結論を、無意識に避けていたケオルの耳に、しかし女神は、とどめの一言を添えた。
「“ケセルイムハト”――われらが主、その色を瞳に持ちたればこそ」
 は、と、ケオルの瞳が大きく開かれる。
 もう、避けることは出来ない。四方を塞がれ、その場一点に閉じられてしまった――まるで今の彼らの状況そのままに。
(そんな……ことが……)
 “ケセルイムハト”――予言書の冒頭に記された、「終結」の象徴。
 その象徴が、生命神に現れているということ。それが事実なら、先ほど女神が証明した内容を補って余りある。
 死者の蘇生。予言書第51節に表された内容が、北の主神「生命神ハピ」の得た新たな力、新たな王の時の秩序を示しているものであると。そして同時に、現生命神が、「ケセルイムハト」の色をもつものであると。
 それらが帰結するところは、あまりにも明らかである。
 ――現生命神によって、この戦は終結され、新たな秩序が生み出される――
(……やられた)
 動揺を禁じえない。それを自覚しながらまた一方で、作り出されたこの状況にはっとする。
 これが、目的だったのだ。北の知属の長、女神「セシャト」は、彼女の得意とする空間構築の術で物理的にこの場を閉じただけでなく、自身の圧倒的優位な情報をもってある事実を知らしめることにより、精神の場すら閉じようとしたのだった。
「七人のフトホルによって定められし運命……その故に、お前は太陽神の名の下に生じた」
 女神は冷たく言い放つ。
「なれば、お前たちの王が定めた理《ことわり》の下、その命を二度と戻すことなく、果てるがいい」
「!!」
 女神が言い終わるが早いか、闇の空間を満ちる大気がずんと重みを増した。
 肌にべっとりとまとわりつく湿気。キレスはそれを払いのけるように長い黒髪を振ると、
「おい!」
 声を上げ腕を伸ばす。それに応え、ケオルが地を蹴る。
 そうして、低く唸るような音を立て、どこからか湧き出した水が空間を埋め始める頃には、二人は再び結界の内に収まっていた。
「……」
 ケオルはしばらく、険しい表情を浮かべたままなにやら思案に暮れている様子だった。
 キレスがふうっと短く息をつくと、ケオルはやっと我に返ったというように顔を上げ、
「大丈夫か?」と、言った。
 キレスは肩をすくませ「疲れた。さすがに」と、短く答える。
 拗ねたように口を尖らせるその様子に、ケオルは少しおかしそうに笑った。
「で? ……どうすんのこれ。もうやっちゃっていいのか?」
 キレスは言いながら、赤黒く染まった手をひらひらと扇ぐ。途端に、ケオルは呆れた表情を浮かべると、
「……お前、俺の話聞いてたか?」
「は? 何?」
「言ったろ、お前の術は『文字術』に対して無効なんだと。さっきもだけど、無駄なことをして相手に余計な情報を与えるなよ」
「……はあ!?」キレスは苛ついたように声を上げた。「お前なんなの!? 文字術がどうのとか、何言ってんのか全然わかんねーんだけど!? そうやって、自分の分かってることを相手も分かってると思って話すの、やめろよな」
 言われてやっと、ケオルは説明不足を自認したようだった。
 一応謝罪の言葉を口にして、それからケオルは、彼の知る情報、この場に起きていること、それらを説明し始めた。
 まず、この空間の唯一の出入り口が「閉じられている」ということについて。
 キレスが感覚で捉えた、出入り口を閉じ込めた「箱のようなもの」とは、北の知神が作り出した文字術によるものであるということ。
 文字術は、知属の扱う特別な文字、神聖文字を描くことによって、空間に条件付けをするものである。描かれた文章こそが文字術の効果を定める条件となり、その描かれる範囲が、術を行使する範囲を区切るものである。
 先ほどケオルが床に描いていたのも、文字術のひとつであり、その床に触れたものが術の条件下に置かれることになる。ケオルが描いたものは、外からの攻撃を防ぐ結界のような役割を持っていた。床に描かれていたため、条件はその文字の書かれた場所に触れているものに対してのみ有効である。
 一方、この空間を閉じた「箱状の」文字術は、床のように一面ではなく、立体状の複数面に――おそらく空間上に――描かれており、その条件を定める空間はまさに「箱のように」閉じられている。その結果、「文字術の箱」内にあるこの空間全体が、文字術の条件下に置かれてしまうというものだ。
「……で。俺の術が、文字術があると効かないから、無駄だって言うわけ……? でも、触れなければ大丈夫なんだろ?」
「そうだよ。でも、触れずに、この『箱』を壊したり、できるか?」
 確かに、言われてみれば、触れるだけで力が無効化するのであれば、壊すのは不可能なようだ。キレスはまた、口を尖らせた。
「……じゃあ、どうすんだよ」
「……」
 今度は、ケオルが黙ってしまった。まだ解決策が浮かんでいるわけではないらしい。
 キレスは、仕方ないな、と髪を一度かきあげ、
「……とりあえず、さっき言われた『箱の形』な。一応、わかったぞ。――三角が、四つだ」
 キレスの言葉を、ケオルは具体的なイメージに変換する。ケオル自身にも気付けたことは、この空間の上部に、立体の頂点のひとつがあるのだということ。
「四面体か……」
 そうなれば、底面に加え三つの側面をもち、上部を頂点のひとつとする三角錐が出来上がっているのだろう。
「あとついでに、敵は三人いるな」
「!」