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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 二、大地の章

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 あの夜、放たれた“力”は、儀式の間の扉近くに控えていたデヌタ自身をも襲っていた。すぐにハピ神の力による治療を受けていなければ、確実に死んでいただろう。
 死への絶対的な引力。まるで二十年前に遭遇した災いの力と、同じ――
「デヌタ様」
 凛とした、若い女の声が響く。知神レルが、魔法陣を通じてそこに現れていた。
「地上部の復旧、各部屋はまだ完全とはいえませんが、結界・周壁ともに、元のとおりに」
 頭を垂れる。高く結い上げた髪が乱れていた。
「レル、すまなかった。セトがすべきところを、お前に多く担わせてしまったな」
「謝ったりなさらないでください」レルは疲労のにじむ顔に微笑を浮かべる。「貴方様の責任ではありませんわ」
 デヌタは消え入るような笑みで応えると、すらりと長くのびた指で女神の肩に触れた。
 レルはうっとりとその瞳を閉じる。――水属の持つ、治癒の力が注がれる。体内につもる澱みがあまねく溶かされ消え去るような、清々しい感覚。肩や腕に負う傷の、脈打つような熱が和らいでゆく。
 レルを映したデヌタのその瞳に、静かにたゆたう薄青。その、彩度を抑えた落ち着いた色合いの瞳には、しんしんと注ぐような優しさがある。……けれどレルは知っていた。その奥にはいつでも、悲哀の色がなみなみと満たされているのだ。
 レルはそれを避けるように腰をかがめて礼をし、感謝を伝えた。
「……まだしばらく時がある。自室で休んでいるといい」
 程よく低く濁りのない声と、気にかけるような視線をわずかに残し、デヌタは静かに歩き去る。その背に、レルはまた言葉もなく礼をした。それが精一杯だった。
 口を開けば、あふれそうになる。……特に、今宵は。
 肩を触れるその手の重み。伝わる力が身体をめぐる、その喜び。
 デヌタ自身もけっして満足な身体とはいえないはずだと、レルは気付いていた。重ねた薄衣よりのぞくわずかな部分……手の付け根や胸元に、何かが皮下を這いまわったような傷痕が見えた。水属の長が、その得意とする治癒の術を自身に施す暇もないほど、この二日間彼は指示や作業に追われていた。
 自身よりも先に、他を癒そうとする彼の、心よりの優しさ、深い愛情――。
 けれどそれは、ほんとうには、自分に向けられているわけではない。
 レルは自身を戒めるように、心にそう留めると、甘い想いを胸の奥にしかりと封じた。
「お姉ちゃんっ!」
 自室に向かうレルを呼び止める声。波立つ黒髪をふり乱し駆けてくる妹を、レルはふり返り迎えた。
「ねえお姉ちゃん……今日の夜、これからなんでしょ……? 『ペル・ケンティの夜』って……」
 息を切らし見上げるその表情は、不安に満たされている。
 「ペル・ケンティの夜」――生命神が後継を確実に残すために、古くから続けられている北の伝統。それは新年の明けたその夜、すべての未婚の女神が、生命神に身を捧げること。
 レルの末の妹であるこの少女は、今年成神したばかり。この夜を迎えるのは、初めてだった。
「ええ、そうよ。……二日ほど遅れてしまったけれど」
「あたし、嫌――」
 少女は露出の多い衣の端を引き寄せるように握り締めて、その身をわずかに震わせた。
「ハピ様がどうとかって言うんじゃないけど、でも……」
「栄誉なことよ」
 レルは凛とした口調で言った。
 妹の戸惑いが分からないわけではない。自分も、はじめは誰でも、不安を抱くものだ。……しかしそれをすくい上げ同調するわけにはいかない。弱い心を、さらに臆病にするだけなのだから。
「でも、だって……。
 だって、そうよ! もし赤ちゃんができても、必死で産んで、それで、戦争が始まって――ケミ姉みたいに辛い思いをしなくちゃいけないなんて、あたし……嫌!」
 もう一人の妹の名に、レルも表情を沈ませた。
 一昨日の敵襲、あの“力”は、やっとの思いで育んできた小さな命を、根こそぎ奪い去った。力ある神々のうちにも犠牲があったほどだ。まだ力もろくに持たない幼子は即死状態だった。
 産んだばかりのわが子の命を奪われたと知って、レルのもうひとりの妹は心に深い傷を負っていた。
「それは、相手が誰であれ同じではないの?」
 自身のうちに広がる、理不尽さへの抵抗を押し込め、レルは妹を叱った。
「よく考えなさい、スー。十年前の戦で、わたしたちはかなりの命を失ったわ。あなたや私の身は、自分だけのものではないの。子孫を残さず滅んでしまえば、今までのすべてが無駄になるのよ」
 スーは口をつぐんだ。赤ちゃんができても、なんて、ただの言い訳だった。自分でも分かっていた。
「でも……でも、怖い……」
 小さく絞り出された声。スーは震えていた。
「だいじょうぶ……。みんな、はじめは同じよ」
 レルは妹の背をそっと押し、歩くよう促した。
「ねえスー、あなたも知っているでしょう。今のハピ神は、特別なお方。今に必ず、この戦争は終わりを迎えるわ。そうしたら――きっとこの伝統も、変わる」
「戦争、ほんとうに終わるの……? 絶対に?」
 不安の中に期待の花を咲かせ、スーが姉を見上げる。姉レルは確かな自信をその笑みにたたえ、うなずいた。
「戦の終結は、あの方の下で実現する。『予言書』にそう、記されているの」

      *

 朝日が高い崖を追い抜いて、すっかり輪郭を現しても、東の神殿は眠ったように静まり返っていた。
 実際、住人のほとんどは眠っていた。騒音の大半を担う赤ん坊も、母親と一緒にぐっすり、夢の中だった。
 上空から響く羽音に、ケオルは目を覚ました。
 大きなあくびをひとつ残し部屋を出ると、この神殿の代表者である風神ヤナセが、神殿入り口からこちらへ向かってくるのが見える。
「――誰か、来たか?」
 帰るなり、ヤナセは上空を、そこにある結界を探るように見回しながら、ケオルに声をかける。
「……ああ。ちょっと前に、キレスが」
 ああ、の部分はあくびなのか返事なのかよく分からなかったが、とにかく知った名に安心したらしい、ヤナセの顔に笑みが戻る。
 キレスは、ケオルが東に居るときは特に、頻繁にここを訪れていた。それをすっかり忘れたかのように警戒を見せたのは、昨夜のことがあったからだろう。
「しかしもう帰ったのか? 何をしに来たんだ」
「いつものゲームだよ。でも、俺が追い返したから」
「……お前、案外冷たい奴だな」
「いや、あいつ、いつも昼に起きてくるような奴なのに、珍しく朝に顔見せるから何事かと思ったら、代表の公務で中央に行く途中に、寄ったって言うんだ。それは駄目だろ。――それに、俺はそのとき、ものすごく眠かった」
 最後に出た本音に苦笑しながら、まあ、そうだろうなと、ヤナセはうなずいた。
「よく来ると思ったら、盤上ゲームか。そういえばお前、得意だったな。キレスで相手が務まるのか」
「それが、あいつ強いんだよ。意外だろ? 運が強いっていうか……。あいつの強運を、いかに破るかなんだよな。俺がどんなに計画練って進めても、思わぬ方法で破ってくるんだ。もしあれが奴の計算通りだとしたら……いや、それはない、ないと思うんだけど……」