空のコップ
そんなのどこの家にもあるじゃないか。そう言われるかもしれないが、家にある「それ」は他の、いわゆる普通の空のコップとは決定的に違うのだ。通常「空のコップ」と言えば、中に何も入っていないコップである。液体も、固体も、何も入っていないコップ。それが普通の空のコップだ。だが、我が家にある空のコップは、そんな普通の空のコップとはある一点で決定的に異なっている。
私の家の空のコップは、見た目はただの空のコップだ。ガラス製で、大きくもなく小さくもなく、装飾もなければロゴもない。そんなただの空のコップ。もちろん、中には何も入っていない。そこまでは普通の空のコップと変わらない。だが普通の空のコップとは違い、その中に何も入れることができないのである。液体も、固体も、何も。確かめたことはないし、きっと確かめることもできないのだろうが、ひょっとすると空気のような気体も中には入っていないかもしれない。
というのも、その中に何かを入れると、何でもきれいさっぱり消えてしまうのだ。例えば蛇口をひねり、流れる水にコップの口を触れさせたとする。すると、水はコップの縁より中に入った時点で、もうすっかり消えてしまう。蛇口から伸びる水の円柱は、コップの口で完全に途切れてしまって、底まで届くことはない。逆さにしても中に入ったはずの水は出てこない。コップの外側にはちゃんと水が付着するのだが。
この性質は固体に対しても働くようで、試しにビー玉を使って実験してみると、やはり液体の時と同じようにコップの口から中に入る時点で消えてしまった。半分だけ入れた時には、コップの中に入った部分だけが消えた。コップの口が内と外のラインになっているらしい。この時半分になったビー玉の断面は、元からそうであったかのように滑らかだった。
こんな私の家のコップだが、私がこのコップの存在を知ったのは、私が二十歳を過ぎた頃である。円卓上の古い桐箱に収まったそのコップを、祖父、祖母、父、母、私の家族全員で囲んで、私は「それ」についての説明を聞いた。それまでは、家族の誰もこの奇妙なコップについて、私に教えてはくれなかった。
「危ないから」
ということだった。このコップの性質は、どんなものにも作用する。子供が指を突っ込めば、きっと突っ込んだ指はなくってしまう。消えてしまう。だが、「ダメ」「危ない」と言われたことほど、やってみたくなった記憶があるように、子供は好奇心の強い生き物だ。そう言われれば、危ないことを試してみたくなるだろう。そうした気持ちがそもそも働かないようにするのには、その存在自体を隠してしまうのが一番だ。知らなければ、そんな気持ちも働きようがない。
「そんな理由なら、もっと早くに教えてくれてもよかったじゃない」
確か私はそんな事を言ったと記憶している。十代の後半にもなれば、さすがにそんな馬鹿なことはしなかったろうと思ったのだ。それに家族は渋い顔をした。
理由を聞くと、点数の悪いテストやうっかり壊してしまった食器など、そうした都合の悪いものをこのコップで片付けてしまう習慣がつくのを恐れたそうだ。だからある程度物事の分別のつく歳になるまで隠していたと。まあ、納得の理由である。
最初は「面白いコップだな」と呑気に思っていたのだが、家族から話を聞いてからしばらくすると、それが実はとても恐ろしいものであるように思えてきた。中に入ったものはどうなったのか。消えたのか、どこか別の場所に行ったのか。何でも消せるというのなら、悪用しようと思えばいくらだって悪用もできる。こんな普通の家で保管すべき物じゃないのではないか。どこか適切な研究機関にでも渡して、正しく研究、使用してもらった方がいいんじゃないか。
不安になって、私は家族に相談した。だが家族はみんな首を振って、「だからこそ、ここで保管した方がいいんだ」と主張した。
「こんなもの、世に出るべきじゃない。それこそどれだけ悪用されるか分からない」
家族の言うことを簡潔にまとめるとそういうことで、私は何か釈然としない気持ちでその主張を聞いていた。確かに家族の言うことには一通り筋が通っていたのだが、覚悟が感じられなかったのだ。
自分は絶対にこれを悪用しない。そういう覚悟が。
結局私は家族の総意に押されるように、そのコップがこの家にあり続けることを認めることになった。家族がこのコップを使っているのか、いないのか、使っているならどう使っているのか。私はこわくて、確かめることができなかった。
その後しばらくして、私は仕事の都合で家を離れた。コップのことは頭の片隅にはあったものの、半分忘れて暮らしていた。というより、忘れるよう心掛けていたのだ。「それ」について考えるのがこわかったから。だが、祖父母、両親が亡くなった時、「それ」は私の手元にやって来た。
どう扱えばいいのか決められずに、物置の奥にしまい込んでいた「それ」。
「それ」に私は今、小さく切った肉の塊を入れている。