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青井サイベル
青井サイベル
novelistID. 59033
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言葉が要るの?

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会うが早いか、彼はわたしを深く抱きしめた。
手も触れず、目さえ合わせず、唇も閉じたまま。


彼は微笑んでいた。
空のように。


彼は呟いた。
「なにが怖いの?」
「大丈夫」


ストリート・ダンサーまでが、彼と踊りたがった。
ダンサーは彼と全くちがう表現方法しか持たないのに、ものの見事に踊って見せたもの。ムーン・ウォークが孤を描いて歌った。二人は笑った。


それは古代のものだし、近代のものでもあるけれど、まったくありきたりでなく、また永遠に近い。
弦が紡ぎ出す音楽は、きっと紛争地帯にいる人々をさえ、愛し合わせることができるかもしれない。
美しいものは、なぜ美しいのか。
美しいものは美しいゆえに、ただこちらの心を奪い、言葉を奪い、屈服させる。
奪われるその快さ!そのまま帰れないとしても、それが何?


ピアノをかじっていた頃、うまくなりたくて一日八時間くらいやってた時期がある。
もう、それは悔しさと喜びの連続だった。
できない箇所に苛立ち、それができるようになるまでやる。
できた喜びに酔い、再び転ばないようになるまでやる。
それがひとつの曲を形づくれるようになるまで。
求めるのはその完成だけ。
土建業者がビルを築いていくように、その喜びが塔の、魂の高みにつながると信ずるように。
その間、トイレに行きたい欲求や喉が渇くような欲求も感じなかった。
ただ、その曲と自分しかなかった。
ものの本には「ハイ」になる方法のひとつとして、
「【それ】になる」
というのがある。
自分がそれをやってるんじゃなく、【それになる】のだ。
教を読む僧侶も、練習中のスポーツ選手も、言葉紡ぐひとも、家族のお弁当を作る母も、【それになる】。


彼の音楽はその美しさのあまり、自分の罪深さを浮き彫りにしそうで、怖い。
同時にすべての許しを与えてくれることを知り、わたしは安堵する。
ああ、あなたなの。
わたしはあなたをずっと昔から知っていた気がする。


彼はわたしを深く抱く。
目も手も唇も合わせず。
ただ奏でるチェロの音色だけで。


彼の名を、ヨー・ヨーマという。
作品名:言葉が要るの? 作家名:青井サイベル