AI-TRAS
「それでは、新大阪輸送指令より線内各乗務員に情報です。四〇〇二レ、寝台特急『日本海』は最優先で運行します。四〇〇二レ通過後、順次運転再開の予定です。発着番線ならびに停車駅の変更はアイトラス端末にて通告します。繰り返します、四〇〇二レ、寝台特急『日本海』は最優先で運行します――」
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寝台特急『日本海』は、警笛の大合唱に見送られながら京都駅を発車する。駅員や作業員、運転士や車掌は蒼い列車に振り返ると、微笑んで見送った。沿線や通過駅では幼い子供から、白髪の老人に至るまで、数え切れないほどの人々が手を振っている。ちょうど昼時だからだろう、会社員とおぼしき男性までもが見物していた。
蒼い列車は向日町操車場を通過する。線路脇で待機していた作業員たちが、白い旗を大きく振っていた。操車場に停車していた列車たちが、一斉に警笛を鳴らして蒼い列車に別れを告げる。
『日本海』は茨木駅を通過した。内側線に停車していた新快速が警笛で列車を見送った。
やがて、列車は新大阪駅に到着する。いよいよ次は終点の大阪だ。ドアを閉め、車掌の小野田は無線を手に取った。運転士に送る最後の発車合図である。
「こちら四〇〇二列車車掌、運転士さんどうぞ?」
『こちら四〇〇二列車運転士、どうぞ?』
老車掌は深く息を吸った。
「四〇〇二列車発車!」
『四〇〇二列車発車!』
力強い汽笛が駅構内に轟く。それは指令室にまで届くほどだった。
周囲の電車の警笛や、「ありがとう」という歓声が飛び交う中、蒼い列車は終点の大阪駅をめざし、ゆっくりと加速しはじめた。
車窓はすっかり都会の風景となった。終点まであと僅かだ。老車掌は流れゆく車窓を見つめながら、目に涙を浮かべた。彼は車内放送マイクのスイッチを入れ、オルゴール・チャイムを鳴らす。これが、最後の放送である。
「本日は――」
そのとき、オルゴール・チャイムが車掌の言葉を阻んだ。電子オルゴールが止まらずに、再び流れたのである。『ハイケンスのセレナーデ』の爽やかなワンフレーズが、何度も何度も繰り返される。それはアイトラスとは無関係の故障だったが、まるで列車が最後の放送を拒んでいるかのようだった。
車掌は心の中で『お客様にさよならを言わないと』と列車に語りかける。彼がもう一度オルゴール・チャイムを操作すると、オルゴールは渋々と鳴り止んだ。彼は再び口を開く。
「本日は寝台特急『日本海』号をご利用いただきましてありがとうございました。あと十分ほどで、え、終点の大阪に到着いたします。お忘れ物のないよう、ご支度ください。本日は湖西線、強風の影響と、信号機トラブルの影響によりまして列車は大幅に遅れております。お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを重ねてお詫びいたします」
彼はメモに目を落として、深く息を吸う。
「寝台特急『日本海』の起源は、大正十三年に登場いたしました、神戸と青森を結ぶ急行列車にまで遡ります。その後、運転区間を大阪から青森までと改めまして運行されましたが、戦時中には一旦姿を消すこととなりました。戦後、昭和二十二年には復活し、その三年後の昭和二十五年十一月八日に『日本海』と命名されました。昭和四十三年十月一日、ダイヤ改正により寝台特急となって以来、寝台特急『日本海』として半世紀にわたり運行されて参りました」
彼はメモを折りたたんで、ポケットにしまった。
「私事ではございますが、私が当時の国鉄に就職いたしましたのも、ひとえに、寝台列車への憧れからであったと記憶しております。三十年間にわたり、この『日本海』に乗務して参りましたが……とても語り尽くせないほどの想い出がございます。本日、皆様と共にブルートレインの最後を見守ることができたことを大変嬉しく思っております。心より感謝いたします」
彼は言葉を詰まらせた。
「……皆様の夢を運び続けて参りました寝台特急『日本海』も、本日をもって運転を終了いたします。え……しかし、皆様の夢の中では、いつまでも……いつまでも……走り続けることと思います。長年の……ご愛顧賜りまして誠にありがとうございました。これにて……お別れとさせていただきます」
彼の目から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「まもなく……終点の大阪、大阪です」
オルゴール・チャイムが車内に寂しく鳴り響いた。乗客の大きな拍手が沸き起こる。
やがて静まりかえった車内。レールの音、車体の軋む音が哀しく響く。旅の終わりである。
蒼い列車は長い長い警笛を鳴らし――。