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LOVE FOOL・前編

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プロローグ



『第0環』
―貴方が居ない世界には耐えられない。
どうぞ何時でも私を御傍に置いて下さいませー


 そう言って両掌から差し出された魂の結晶は美しく透きとおり、虹色の回廊で輝いた。
 天も地も無い夢幻の中、宙に漂う曲がりくねった一本道は、物質の用途を成さず定まりがない。
砂時計の様にさらさらと崩れ、積もった砂がまた別の道を示す。
 まるで「迷宮」、ラビリンス。
 足で歩く必要がないから、床に硬度は要らず、道路に距離も要らないのだ。
一歩、羽根の無い者が踏めば、底なし沼の様に奈落へ沈む。
彼女らは偶発的な迷子を歓迎するが、侵入者を激しく嫌っていた。
そんな物質界の介入を拒絶する「旧」世界で唯一の人間。
来訪者は精霊にも劣らぬ麗貌の美しい青年で、彼はしっかりと回廊に踵をつけ、歩き、息をする。
現世も旧世にも囚われない稀な存在。崇高なる力の持ち主である証だった。

 金色の粉を羽ばたきと共に舞散らせ、まともに顔も見られない乙女は震える。
濃霧の闇からひそひそと二人の動向を彼女と同じく胸を高鳴らせ見守る気配を肌に感じ、
彼はゆっくりと身を屈めた。
「…有難う、大切にするよ」
 青年の囁きは優しい歌声。
青年の微笑みは夜を瞬く綺羅星。
 光の加減で蒼くも見える銀色の髪が彼女の目の前にさらりと零れ、はっと息を呑む。
想い人の唇を慌てて閉じた瞳で額に受け、頬の赤みと掌に乗せた石の輝きが共鳴を始める。
 それはもう幾つ目になるだろうか。
 帰還を呼び止め、差し出された宝石は精霊達の力と心と彼への愛そのもの。
生まれて初めて人間に恋をした彼女達は昂る感情を昇華する術を知らない。
苦しく締め付ける胸の痛みから逃れる為、自身の全霊を彼に相応しい形で差し出した。
 それこそが無償の愛。
愛される事は望まない。
貴方が私を必要としてさえくれれば、それだけで幸せ。
 眩い輝きは辺りを強く照らし、吸い込まれる様男の掌に納まった。
精霊姫の姿はもう其処に無い。
残ったのは可憐で美しく、儚く強い宝石が一つ。
自らをも中に閉じ込め、彼女は言葉通り一時も離れず彼の傍に居る事を望んだ。

 盲目な情故の無謀か、もしくは。
彼女達は知っていたのかもしれない。
 今宵、頭上に昇る満月が彼を不穏に照らす事を。
これより彼に与えられる不運にして幸運な物語の一編を。

 無論、聡明な彼女達がそれを口にする事は無いのだが。
(貴方を愛しています、ヴィヴィアンヴァルツ)
「そんな事は判っている、当然だ」
 ポケットに仕舞い込んだ石が、ふと、そう囁いた気がして彼は面倒そうに応えた。
 気分の赴くまま、世界と世界の真理を浮遊移動する10の神界を渡り歩き、手にした宝石は全部で10個。
 精霊神姫を全て虜にした青年、魔術師の名はヴィヴィアンヴァルツ=ラヴィニ=ヴィルベルガと云う。
物質界において現時点、彼の才能と美貌は人間の中でも羨望の的であった。
その名と顔を知らない者は無く、老若男女問わず彼に見惚れる。
風を斬って歩けば、白銀の髪が滑らかに宙を舞い、眼差しは湖の如く、深い蒼でありながら高貴な紫を滲ませる。
讃えられる事に慣れた高慢な言動すら許せてしまう。
自他共に認める美貌の天才魔術師ヴィヴィアンヴァルツ。
 蜃気楼の様な旧世界から戻り、大きく伸びをした彼が真っ先に向かった場所は私邸ではない。
まして突然行方をくらまし、多大な心配を誘発させた友人や師の元でもない。
旅をした後に立ち寄る先はいつも同じ。
細指をタクトの様な振り一つで目的地に空間を繋ぐと、渋く錆びた鉄扉を触れずに開け放つ。
 そこは辺境の地。
崩れた廃街の中にひときわ不気味に建つ城。
幽霊の棲家と噂される無人の古城に、彼は至極慣れた面持ちで踏み込んだ。

 入口のドアを抜けるとそこにはがらんとした石灰色の大広間が出迎える。
家具も荒らされ、装飾品も殆どが盗まれた後だった。
壁の肖像画はもはや誰を描いていたのか判らない、壁からずり落ち傾いている。
にも関わらず、丸テーブルと2脚の椅子だけが真新しく、意味ありげに置かれているのが更に不気味さを増す。
 ヴィヴィアンはあたりを見回すが人の気配は無い。
蝋燭は燃え尽き、薄暗い場内に灯る唯一鮮明な色彩といえば彼の纏う真紅のコートのみ。
歩調に合わせて床が響き、銀色の髪が肩を滑る。

「これを指輪にするとしたら何カラットになるかな?」
 抱えていた酒瓶をテーブルの端に置き、ポケットから取り出した大粒の宝石を無造作に広げ、彼はそこに何者かが居るかの様な口調で訊ねた。
 ルビー、オパール、エメラルド、タイガーアイからダイアモンドまで。
 全てが磨き上げられたばかりの繊細な輝き。
 当然だ。
精霊の愛と魂の結晶なのだから。
けれどヴィヴィアンは自分に寄り添い、転がる石を冷ややかに指で弾く。
あしらわれた宝石は、テーブルを滑り端から床に落ちるー…寸前。
誰も居ない筈の室内で溶けた蝋燭が時間を巻き戻した様に立ちあがり、音もなく火が灯りだす。
視線を正面に上げると亡霊の様な青白い男が、哀れなサファイアを受け止め、立っていた。

「…お前、錬金術師を装飾デザイナーか何かと勘違いしているんじゃないのか?」
 指に捕えた姫を9つの仲間に合わせ、テーブルの酒に手を移す。
笑うと益々見えなくなる、深淵の様な眼を細め、薄情な魔術師を皮肉った。
「俺にとっては同じ様なものだ。頼むよ、ノーデンス」
 とびきりイケてるやつに加工してくれ。
城主である男の登場にヴィヴィアンは椅子を大きく倒し、背もたれに身を傾ける。
 横柄とも言える態度が彼の前で許されるのは、ヴィヴィアンヴァルツだけだった。
ノーデンスにとっても、この魔術師に厭味を言えるのは自分だけ。
彼らは利害の一致と専門分野の違いから、特別な絆が形成されていた。
「これを全部?出所はあえて聞かないが、勿体ない…」
 石を翳し、ノーデンスはレンズの様にヴィヴィアンを映す。
テーブルに広げられた宝石は眩く美しい。
どれをとってもこのまま王冠のトップを飾れそうなほど素晴らしい逸品だ。
それなのに、とノーデンスは口元を尖らす。
「じゃらじゃら纏わりつくのはすきじゃないんだ。物も、人も」
「その性格を知っていなければ、俺もその煩い独りになる処だったなー」
 危ない、危ない。
大げさに肩を竦ませ笑うノーデンスの顔は目と口元が湾曲に割ける。
仮面の様な笑顔を長い白髪の隙間から覗かせ、彼は愉快そうに声を立てた。

 今は何も飾られていない、彼の指全てに精霊の指輪が身を置くのはそれから一晩たった後。
 ヴィヴィアンヴァルツが本当の意味で「指輪の魔術師」と呼ばれるのは遥かずっと後の話。
彼が精霊に注がれた愛情の真価を深く思い知る。

その後の話だ。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨