僕の好きな彼女
ひいっと情けない悲鳴を上げて、男はナイフをその場に放り出し、よたよたと振り返りそのまま脱兎のごとく走り出した。
僕は素早く路地から外に出て男と鉢合わせないようにした。
そのすぐ後ろから男があたふたと駆けだそうとしてきた。
そのあまりに身勝手で情けなく、誠実さの欠片もない、暴発した未熟な暴力のなれの果ては、見るに堪えなかった。
だから僕の中でとっさにちょっとした悪意が芽生えた。
それまでそんなことを考えたこともなかったし、したこともなかったが、するとすれば今がその時だと感じた。
男より僅かに早く路地から飛び出した僕は、そのまま身を翻して右足を斜めに突き出した。
飛び込むように路地から逃げ出してきた男は僕の足にガツンと自分の足を引っかけて、盛大な勢いで前のめりにほとんど飛ぶようにすっ転んだ。
――これが今の僕に出来た精一杯の嫌がらせで、彼女に代わるささやかすぎる意趣返しだった。