絵を描くわ。
なんとなく空いた時間が出来たから、手帳の隅に描きこんだ落書きから、十数年ぶりに、絵を描き始めた。
最初に描いたのは、保険のチラシにあったアヒルの絵だった。それはひどく不恰好で、アヒルというより、いびつなマグカップのようで、消してしまいたくなったけれど、ボールペンだったからどうしようもなかった。そのまま残しておいた。
別に絵画教室に通っていたわけでも、通信講座を受けていた経験もない私の絵は、大したものではない。
ただ好きな絵を描いていた。思いつくものを、描いていた。
私はとあるビルに一室をかまえる小さな会社の事務を務めていて、休みは週に一度、給料はお世辞にも良いとは言えないが、毎日ほとんど定時に帰ることが出来る。このご時世にぜいたくは言えない。とにかく、帰った後、食事をとり、風呂に入り、そして寝る前のほんの一時間ほどを絵に費やしている。
理由はなかった。
プロになりたいわけでは、ない。これで食べていけたら、それはまぁラッキーだと思う。だけれど、へたくそだと罵られるのが怖くて、流行りのインターネットにアップロードとかはしなかった。自己満足の世界だ。閉じた世界だ。百円ショップで買ったノートに、ただボールペンで描いている。
描いていると思いだせるから。
中学生の時、美術部に入っている背の高い男の子が好きだった。だけれどなんとなく、文化部の男子に恋をしているだなんて言い出せないという、それだけの理由で秘めた恋をしていた。この薄い紙のノートに描いているような絵のような恋だった。
描いていると思いだせるんだ。
実は私は、昔からすごく絵が下手で。
あるとき、誰かに言われた。「下手なくせに描くな」と。その日からノートを閉じた。今言われたら、きっと同じようにノートを閉じるだろう。
考えていると、描く。描くと、考えている。
指先のペンを動かし、模様を描きこんでいる時間をいつの間にか、かけがえのないものにしていく。
人に見せないものを続けるということは、果たして無意味だろうか。それとも、何かを遺せる行為になるのだろうか。
もしも私が今、何もかもを失ってしまったら。
いや、そうなったら、きっと同じようにノートを閉じるだろう。ただ暇つぶしに続けているだけで。
毎日一時間ほど、絵を描いている。
ノートはもう二冊目になった。二冊で百円の、割とお得なノートだった。次は三セットくらい、買っておこうか。その頃には私はこの気まぐれに飽きているかしら。
下手だけど続けている。
誰にも見せるわけでもないけれど、続けている。
そういえば、営業の大久保さんが最近、私の開かれたままの手帳を見て、
「松下さんは可愛い絵を描きますね」
と笑っていた。その大久保さんは、そういえば中学の時の彼に少しだけ似ていた。
私はもう少しだけ、描くでしょうね。きっとこれが、趣味になっていくのかしら。
理由はないけれど、今日も絵を描いている。