ゆめの樹
どこかの丘のうえに、樹がはえていた。この樹はゆめの樹で、大きなうろに入ってねむれば、ちゃんとすてきなゆめを見ることができた。
ゆめの樹はおじいさん。ねむるひとがすてきなゆめを見られますようにと、いつも祈りながら寝息ををきいている。
そしていまねむるのは、小さな子どもだ。ほかの人より、だいぶながくねむっている。
じつは、ゆめの樹でねむれるのは、一年にひとりだけだった。
こどもがうろにきたのは、一年と十カ月もまえのことだった。
ゆめの樹のおじいさんはこまってしまった。
「これでは『さいくる』がなくなってしまう。」
つぎにねむるひとは、じゅんばんまちでこごえてしまっていた。
これは何とかしなければ!
「どうしたらいいかのう。」
そのとき、空から声がきこえた。
空の上の月が、ゆめの樹に話しかけたのだった。
「ゆめの樹のおじいさま。おひさしゅうございます。」
「おお、あなたは…。ええっと…。」
「ふふ。二十二女の、お弓でございます。」
「ああ、そうでしたか。あなた方は日によって姉妹がいれかわりますから、どうもおぼえがわるくて。もうしわけない」
「どうかお気になさらずに、おじいさま。三十人も姉妹がいたら、わからないのに決まっておりますわ。それよりも、おじいさま。うろでおねむりになっている、子どものことでございます。
その子どもは、千年に一度あらわれる、「ゆめの樹の花をさかせる子ども」です。
お姉さまたちの話しによると、子どもは七年のあいだおじいさまのうろで眠りつづけ、ゆめの樹にゆめをたくわえつづけ、そして時がくると、千年に一度の花が咲くのだそうですよ。」
おじいさんはびっくりしてしまった。
「なんてことです。わし、生まれてはじめてそのことを知りました。しかし、それもそうか。わしはまだ三百八十九才ですから…。」
「ですから、あと五年と二カ月、子どもがねむりましたら、そうなるのです。」
おじいさんは、自分に花が咲くことを知って、うれしかった。
だが、お弓にこう言った。
「いや、それはこまる。」
「今、何と?」
「花が咲くのはうれしいが、この子どものつぎに待っておるものがいるのです。
わしはずっと、一年に一人、よいゆめをみてもろうた。
その『さいくる』を、くずしてはならん気がするのです。だから…。」
「おじいさま?」
二十ニ女のお弓は、おそるおそるゆめの樹をよんだ。
「この子どもには起きていただく!」
ふだんはやさしいゆめの樹のおじいさんだったが、このときの顔は少しこわいとお弓は思った。おじいさんは枝という枝をわさわさとうごかして、うろのなかの子どもをひっぱりだそうとしたのだ。こんなことははじめてのことだった。そして…。
葉が子どもの目にふれたときだった。
子どもの見ていたゆめが、ゆめの樹のなかに、流れこんできた――――。
ゆめは美しくてきれいだったけれど、あまりの大きさに、
おじいさんはすこしこわくなってしまった。
そして、あわてて枝を引っこめたのだったが、…なんということだろう。
ゆめの樹のおじいさんは、…おじいさんになっていた。
「にんげん」になっていた!
にんげんのおじいさんは、ただただびっくりしてしまった。
「なんでわしがにんげんに?ああ、これはまちがいがない、にんげんの手、そして足だ。
なんということだ。わしは、ゆめの樹ではなくなってしまったのか…。」
にんげんのおじいさんはあたりを見まわしたが、あたりにはなにもなくなってしまっていた。ただ広い草むらがあるばかりで、あの子どももいなくなっていた。
月の声はもうきこえなかった。
とほうにくれていたおじいさんだったが、ふと、足がむずむずするのに気がついた。
「なんだか、走ったことなどないが、走ってみたいのう。」
そして、おじいさんは、走ってみたのだった。
おじいさんはびっくりするくらいはやく、かろやかに走った。
走ってきもちよく空気をすっているうちに、きもちがわかくなるようだった。
(わし、もう三百八十九才なのに…。ふしぎだのう。)
そして、もっとふしぎなことに、おじいさんの見た目も、わかくなっていた。
どこからみても、子どもとよべるくらいの、小さな男の子になっていた。
男の子は、何も考えずに走った。
「走るって、楽しいな!」
どこまでもどこまでも走って行った。
そうして一週間はたっただろうか。
男の子が行きついたところには、湖があった。
もう日がくれて、まっくらだった。星だけがまたたく、新月の夜だった。
湖のほとりに、女の子が立っていた。
男の子は、女の子に話しかけた。
「あなたはだれですか?どうしてここにいるのですか?」
女の子は、うやうやしくおじぎをした。そして言った。
「わたしは、あなたのうろでねむりたくて、じゅんばんを待っていた者です。せっかくの、あなたにとって大切な時間をうしなわせてしまったようで、ほんとうにもうしわけありません。でも、わたしのためにしてくれたこと、うれしく思いました。わたしの名まえは、さくといいます。」
男の子は、首をかしげた。
「あなたの言っていること、よくわかりません。ごめんなさい…。でも、さくという名まえなんですね。ぼく…。ぼくの名まえも、さくといいます。」
自分で言っていておどろいたけど、きっとそうだ、と男の子は思った。
女の子は目をかがやかせて言った。
「まあ、何てすてきなことでしょう。わたし、とてもうれしいです。あの、わたしとおどってくださいませんか?」
男の子も、にっこりして言った。
「ぜひ、おどりましょう。」
ふたりは手をとり、おどりをはじめた。息の合ったおどりは美しく、よろこびの風をよんだ。
ふたりは風にのっておどりつづけ、湖の上でもかろやかに舞った。
ふと、男の子が、湖の上に、かれた樹があるのに気がついた。
「あの樹はどうしてかれてしまったのでしょう。」
「わかりません。でも、私達の舞いの風がきっと、よくしてあげられます。」
「やってみましょう。」
ふたりはよろこびの風とともに、かれた樹のまわりをおどりはじめた。
円をえがくようにくるくると…。
すると元気のなかった樹が、すこしずつ芽ぶきはじめた。
男の子は一瞬何かを思い出しそうになったが、女の子の笑顔を見たら、それは完全に消えていった。
湖に、季節はずれの桜が咲きほこった。
ふたりは美しい風景を、息の上がった真っ赤な顔でいつまでも見つめていた。
さいごの花びらが落ちるまで…。
男の子は言った。
「これからどうすればいいのでしょう。」
女の子は言った。
「いっしょに、生きませんか。」
男の子は、目をかがやかせて言った。
「そうです、それが良い。それがきっと、『さいくる』なんだ。」
女の子はそっと、きいた。
「『さいくる』って、何ですか?」
「今、ふっとうかんだのです。わたしにもよくわからないのですが…。とてもだいじで、しっくりくることばのような気がしました。」
「そうでしたか…。すてきなことばですね。」
「そう思いますか。」
「ええ。」
「では、行きましょうか。」
そして、ふたりは手をつないで、歩きはじめたのだった。
明け方、空に、見えはじめたばかりの二日月が、ほそく光っていた。
〈了〉