河童問答
散歩が趣味である。一年中、意味もなく歩いている。同じ道を歩いていても、春には春の、秋には秋の趣というものがある。夏の散歩も面白いものだが、しかし、炎天下のなか一時間も二時間も歩いていると、これはもう苦行である。たまさか行き倒れそうになるので困る。私自身も無茶をしているのはわかるが、どういうわけか止めることができぬ。自らを責めることを好む人種をそういえばなんと言ったか。
猛烈な暑さのなか、私は今日も歩く。
近所の畑では、あまりの暑さに向日葵が萎れて俯いている。アスファルトの上ではミミズが何匹も干からびている。
そして、寺の前の道では一匹の蝉が引っくりかえっている。よく見れば、まだ脚がうねうねと動いていた。その必死で藻掻くような有り様に同情した私は、この蝉を助けてやることにした。
手に捕まらせ、日陰に移してやった。
こうして助けてやったところで、せいぜい数分を生きながらえるだけのことであろうが、まあ、目についたものは救うより仕方がない。偽善だろうがなんだろうが知ったことか。こちらとて、もともと恩に着せるつもりはない。
そういえば、まだ子供の頃――ちょうど今日のような暑い夏の日だったと思う。私が、蝶だったか蜂だったかを叩こうとしたら、祖母から「そりゃ死んだ爺さんの生まれ変わりかもしれんから殺すな」と止められたことをふと思いだした。なにを根拠に祖母がそのようなことを口走ったか定かでないが、久々に思いだしたその記憶に懐かしさを覚える。いや、私が叩こうとしたあれは蜘蛛だったか。
――お盆に川に近寄ってはならぬ。
そう言ったのも、その祖母だったように思う。以来、私はお盆が来るたび川に通うようになった。何か面白いものが見られるような気がしたからだ。
私は今年もまた川に向かう。
歩く。長い一本道を行き、いくつかの坂を上り下りする。やはりひどく暑い。日差しが尋常ではない。年々次第に暑くなっているように思えるのは気のせいだろうか。子供の頃の夏もこんなに暑かっただろうか。うまく思いだすことができない。あまりの暑さに町中を歩く人の姿もまばらだ。
裏路地に入って細く急な坂道を一つ登ると、ようやく土手が見えてくる。息を切らせつつ土手の上に出ると一気に視界が広がる。
――夏空。
青い空と白い雲と緑の河川敷。ときどき吹いてくる風の色を見る。
心なしか気温も少し下がったような気がした。向こうでは土手の斜面に寝転がった女学生達がシャボン玉を飛ばしている。川から吹く風を受けたシャボン玉は気持ちよさそうに飛んでいき、やがて弾けて消える。
しばらくそのシャボン玉の行く末を目で追っていると視界の端に何か赤いものが見えた。
見れば、河川敷の芝生の上を、赤い服を着た女がまっすぐ歩いていくところだった。
深く、濃い、黒髪の女だ。
彼女は強い風に吹かれながら颯爽と歩いていく。真っ赤なスカートがマントのように翻るその光景を私は阿呆のようにただ見送っていた。一体いずこへと向かうつもりなのか。その女はまっすぐに歩いていく。時々その姿が掻き消えるようにして見えなくなったかと思うと、いつのまにかその少し先を歩いている。
古いフィルムのコマ送りのようにも見えた。風景にノイズが混ざる。
あれは、おそらく既にこの世のものではあるまい。しかも決して関わりあいになってはならぬたぐいのものだ。
なるほど、盆の川には斯様なものが顕れる。
あのようなものに関わっていたら命がいくつあっても足りぬだろう。
私はその赤い女が完全に見えなくなるまで見送ってから――さて、川だ。川を見よう。そう思い立ち、河川敷へと続く階段を下りる。そうして川へ近寄っていくと、川岸のあたりから何か白いものがゆらゆらと立ちのぼっているのが見えた。
――や、はたして次は一体どのような怪異か、
と胸を躍らせるが、敢えてゆっくりとした歩調で川岸へと近寄っていくことにした。誰が見ているというわけでもないが、世間体というものがある。
私はまるで清廉潔白な紳士のようにして悠々と歩いた。
そうして、いざ川岸を見下ろしてみれば、そこでは一人の老人が花火をしているではないか。
私はあまりのことに立ち尽くし、その光景を凝視してしまう。当たり前のような顔をして花火に興じていたのは子供のように小柄で背の曲がった翁であった。青いブルーシートを木の幹に固定し、日よけとしている。どうやら釣りをしていたらしく、長い釣り竿から垂れた糸が川面にひと筋、白い線を引いている。
老人は、その釣り竿を放りおき花火をしているのであった。
背を丸め、子供のように足を抱え込んでしゃがみこみ、片手に持った棒きれから七色の火花を散らせている。
眩い日差しのなか舞い散る火花と、もくもくと煙が立ちのぼっていくその光景に、私は強い既視感を覚えた。
……たしか、このような光景を以前どこかで見たような気がする。それは子供の頃だったような気もするし、つい最近のことだったような気もする。先日の雨で増水した川の流れはいつもより急に見える。水面にはたくさんのゴミが流れていて、あたりには生臭いにおいが立ちこめている。そして老人は一人で花火をしている。
「こういう日は、まず魚は釣れない」
老人が花火を見つめたまま口を開く。最初ひとりごとかと思ったが、どうやら私に語りかけているような気配だ。
だから「はあ、そうですか」と私は答える。
釣れないのが分かっていて、なぜ釣りなんかしているのだろうとも思ったが、そこは釣り師に特有な心理なのかもしれない。それにあまり興味もなかったので聞き返す気にはならなかった。
「おまえは釣りをするか?」
またしても老人は私を見もせずにそう言った。しかし無造作に放り投げるようにして言葉を発する老人であった。独特の味があって面白いように思われる。私はこの老人に少なからず好感をおぼえた。私は「釣りはしない」と答える。
「そうか」と老人が頷く。それから、
「おれは河童だ」
と、老人がまた放り投げるようにして言うので「はあ、そうですか」と私もまた言葉を置いてくるようにして答える。まあ自分で「河童」だと名乗るからにはそうなのだろう。この老人は河童なのだ。
それから老人は、かつてこの川の主だったという「ねねこ河童」なる河童の大親分の話をはじめた。たいそうな神通力を持った河童だったらしく、女ながら関東一帯の河童を支配していたという。そして、この「ねねこ河童」が去ってからというもの、この川の力も弱まり、次第に汚れはじめたそうだ。当然のことながら「汚れ」は「穢れ」に通ずる。川には悪いものが溜まっていく。
「人間は自分らでも始末におえぬものを水に混ぜ込むので困る。古来より水に毒を流すは最も許し難き大罪である」
そう言って老人は黙る。黙ったまま手にしていた花火を川へと放り投げた。じゅっと音がして、それっきり。私も老人も何も言わなかった。
猛烈な暑さのなか、私は今日も歩く。
近所の畑では、あまりの暑さに向日葵が萎れて俯いている。アスファルトの上ではミミズが何匹も干からびている。
そして、寺の前の道では一匹の蝉が引っくりかえっている。よく見れば、まだ脚がうねうねと動いていた。その必死で藻掻くような有り様に同情した私は、この蝉を助けてやることにした。
手に捕まらせ、日陰に移してやった。
こうして助けてやったところで、せいぜい数分を生きながらえるだけのことであろうが、まあ、目についたものは救うより仕方がない。偽善だろうがなんだろうが知ったことか。こちらとて、もともと恩に着せるつもりはない。
そういえば、まだ子供の頃――ちょうど今日のような暑い夏の日だったと思う。私が、蝶だったか蜂だったかを叩こうとしたら、祖母から「そりゃ死んだ爺さんの生まれ変わりかもしれんから殺すな」と止められたことをふと思いだした。なにを根拠に祖母がそのようなことを口走ったか定かでないが、久々に思いだしたその記憶に懐かしさを覚える。いや、私が叩こうとしたあれは蜘蛛だったか。
――お盆に川に近寄ってはならぬ。
そう言ったのも、その祖母だったように思う。以来、私はお盆が来るたび川に通うようになった。何か面白いものが見られるような気がしたからだ。
私は今年もまた川に向かう。
歩く。長い一本道を行き、いくつかの坂を上り下りする。やはりひどく暑い。日差しが尋常ではない。年々次第に暑くなっているように思えるのは気のせいだろうか。子供の頃の夏もこんなに暑かっただろうか。うまく思いだすことができない。あまりの暑さに町中を歩く人の姿もまばらだ。
裏路地に入って細く急な坂道を一つ登ると、ようやく土手が見えてくる。息を切らせつつ土手の上に出ると一気に視界が広がる。
――夏空。
青い空と白い雲と緑の河川敷。ときどき吹いてくる風の色を見る。
心なしか気温も少し下がったような気がした。向こうでは土手の斜面に寝転がった女学生達がシャボン玉を飛ばしている。川から吹く風を受けたシャボン玉は気持ちよさそうに飛んでいき、やがて弾けて消える。
しばらくそのシャボン玉の行く末を目で追っていると視界の端に何か赤いものが見えた。
見れば、河川敷の芝生の上を、赤い服を着た女がまっすぐ歩いていくところだった。
深く、濃い、黒髪の女だ。
彼女は強い風に吹かれながら颯爽と歩いていく。真っ赤なスカートがマントのように翻るその光景を私は阿呆のようにただ見送っていた。一体いずこへと向かうつもりなのか。その女はまっすぐに歩いていく。時々その姿が掻き消えるようにして見えなくなったかと思うと、いつのまにかその少し先を歩いている。
古いフィルムのコマ送りのようにも見えた。風景にノイズが混ざる。
あれは、おそらく既にこの世のものではあるまい。しかも決して関わりあいになってはならぬたぐいのものだ。
なるほど、盆の川には斯様なものが顕れる。
あのようなものに関わっていたら命がいくつあっても足りぬだろう。
私はその赤い女が完全に見えなくなるまで見送ってから――さて、川だ。川を見よう。そう思い立ち、河川敷へと続く階段を下りる。そうして川へ近寄っていくと、川岸のあたりから何か白いものがゆらゆらと立ちのぼっているのが見えた。
――や、はたして次は一体どのような怪異か、
と胸を躍らせるが、敢えてゆっくりとした歩調で川岸へと近寄っていくことにした。誰が見ているというわけでもないが、世間体というものがある。
私はまるで清廉潔白な紳士のようにして悠々と歩いた。
そうして、いざ川岸を見下ろしてみれば、そこでは一人の老人が花火をしているではないか。
私はあまりのことに立ち尽くし、その光景を凝視してしまう。当たり前のような顔をして花火に興じていたのは子供のように小柄で背の曲がった翁であった。青いブルーシートを木の幹に固定し、日よけとしている。どうやら釣りをしていたらしく、長い釣り竿から垂れた糸が川面にひと筋、白い線を引いている。
老人は、その釣り竿を放りおき花火をしているのであった。
背を丸め、子供のように足を抱え込んでしゃがみこみ、片手に持った棒きれから七色の火花を散らせている。
眩い日差しのなか舞い散る火花と、もくもくと煙が立ちのぼっていくその光景に、私は強い既視感を覚えた。
……たしか、このような光景を以前どこかで見たような気がする。それは子供の頃だったような気もするし、つい最近のことだったような気もする。先日の雨で増水した川の流れはいつもより急に見える。水面にはたくさんのゴミが流れていて、あたりには生臭いにおいが立ちこめている。そして老人は一人で花火をしている。
「こういう日は、まず魚は釣れない」
老人が花火を見つめたまま口を開く。最初ひとりごとかと思ったが、どうやら私に語りかけているような気配だ。
だから「はあ、そうですか」と私は答える。
釣れないのが分かっていて、なぜ釣りなんかしているのだろうとも思ったが、そこは釣り師に特有な心理なのかもしれない。それにあまり興味もなかったので聞き返す気にはならなかった。
「おまえは釣りをするか?」
またしても老人は私を見もせずにそう言った。しかし無造作に放り投げるようにして言葉を発する老人であった。独特の味があって面白いように思われる。私はこの老人に少なからず好感をおぼえた。私は「釣りはしない」と答える。
「そうか」と老人が頷く。それから、
「おれは河童だ」
と、老人がまた放り投げるようにして言うので「はあ、そうですか」と私もまた言葉を置いてくるようにして答える。まあ自分で「河童」だと名乗るからにはそうなのだろう。この老人は河童なのだ。
それから老人は、かつてこの川の主だったという「ねねこ河童」なる河童の大親分の話をはじめた。たいそうな神通力を持った河童だったらしく、女ながら関東一帯の河童を支配していたという。そして、この「ねねこ河童」が去ってからというもの、この川の力も弱まり、次第に汚れはじめたそうだ。当然のことながら「汚れ」は「穢れ」に通ずる。川には悪いものが溜まっていく。
「人間は自分らでも始末におえぬものを水に混ぜ込むので困る。古来より水に毒を流すは最も許し難き大罪である」
そう言って老人は黙る。黙ったまま手にしていた花火を川へと放り投げた。じゅっと音がして、それっきり。私も老人も何も言わなかった。