春香り
春の気配が日増しに感じられる季節。
少しクセのある香りだが、可愛らしい花が満開になっていた。
パチン――
咲はその花を一つ、鋏で切った。
艶々とした黒髪を髷に結った咲は、飾りかんざしをシャラシャラと涼やかに鳴らしながら通りを歩いて行く。春らしい桜色の小袖に、濃紺の幅広の帯。一見それと分からないが、手に取れば上物だと解る服。
日差しで暖かく温んだ風を切って、咲は年上の恋人である九郎輔の住む澄田長屋へ。
入り組んだ道を歩く。長屋のあいだは道が狭くて入り組んでいるくせに、人が密集して住んであるから人の行き来は盛んだ。今は時刻が時刻だけに、子供が駆け回っている。
見知った長屋の戸を表から声をかけると、中から聞き馴染んだ声が聞こえた。咲が少し戸口で待っていると、優しい顔が出てくる。
「お待たせしました、お咲さん」
「うぅん、平気」
九郎輔が咲を迎えに行くと言ったのを、咲は断った。家でそわそわ待っているのは嫌だったし、迎えに行く方がずっと楽しい。そんな咲の気持ちも九郎輔は知っているから、九郎輔が断ることはない。
今日は梅の花を見に行こうと、約束していた。暖かい日が続いたから、梅は満開だそうだ。紅梅、白梅、大陸から入ってきた蜜色の梅花。どれも匂いが違うらしい。
ふと、九郎輔は独特の匂いが咲から流れているのを感じた。それとなくいつもと違うところを探す。
咲の髷を飾るかんざしが差されているそこ、いつもは無いものがかんざしと一緒に差している。
沈丁花。それが匂いの原だと思って、九郎輔は小さな花に触れた。案の定、それは作り物ではない、本物の手触り。
「なに…?」
咲が驚いた顔で九郎輔を見上げる。
「この花、どうしたの?」
九郎輔の問いに、咲は照れながら笑った。
「庭に咲いてたの。一つ切って、かんざしの替わりにしてみたんだけど。可愛いでしょ?」
「うん。良い匂いだね」
優しく微笑まれて、それだけで咲の心は満たされる。
九郎輔はいつもそう。いつも優しく微笑んで、優しく包んでいる。これと言った意見はあまり口にはしないが、常に色んなことを気にかけていて。
咲はいつも敵わないと思う。見合う人に、釣り合う人に成れたらいいといつも思っているのに、やっぱり幼いらしくていつも庇われていて。それが嫌ではなくて、むしろ嬉しいと感じるのだが。これは恋愛ゴッコの域を出ていないのではないかと、思わされる。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
優しい笑みはいつも隣にあって。いつも優しく見下ろしていて。
この距離が、幸せ。
歩く速さはいつも一緒、感じることは似ていて、一緒に居て安らかになれる。
毎日が嬉しくて、毎日が楽しい。
花の匂いとそう、同じ。
九郎輔が隣に居なくても、心の何処かにその存在が必ずある。
優しく包まれている感じ。
(全然、嬉しいことじゃない?)
今日も歩く速さは一緒で。