カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅱ
美紗と日垣は、統合情報局第1部がある十三階から一階に降りた。建物を出ると、残暑の日差しが強烈に照りつけてきた。冷房で冷えた体が汗ばむ前に、隣の棟へ逃げ込むように入る。セキュリティを通過すると、エレベーターホールの奥に、さらに有人のセキュリティゲートがあるのが見えた。すでに連絡を入れてあったのか、そこの管理者は、日垣と少しやり取りをしただけで、通常は閉鎖されているサイドドアを開放した。
中に入ると、地下階のみに向かうエレベーターがあった。ここから先にどんな部署があるのか、美紗は全く知らなかった。この棟でもそれなりの人数が勤務しているはずだが、人の気配を感じさせる物音は、一切ない。知られることを拒否するような静けさが、建物全体に満ちている。
ほどなくして、三基あるエレベーターのうちの一基が到着したことを知らせるチャイムが、ホール中にやけに大きく響いた。誰も乗っていないエレベーターに、日垣は足早に歩み寄った。その足音も、妙に耳に響く。この閉鎖的な空間で働く人たちは、一日中、隣の人とすら話すことなく過ごしているのではないだろうか。いや、保全上、話すことを禁じられているのかもしれない――。
「鈴置さん」
やや大きな声で名前を呼ばれ、はっと顔を上げると、第1部長がエレベーターのドアを手で押さえて立っていた。美紗は、書類ケースを胸に固く抱きしめ、慌ててエレベーターに乗った。図らずも、上官にエスコートされた格好になってしまった。
「海外の人間との会合には、ここを使うことが多いんだ。部外者は完全にシャットアウトできるし、『お客さん』の出入りを気兼ねなく監視できるから、かえってやり易い。今後もこういうことは時々あるから、今回がいい勉強の機会だと思って……」
日垣は、行き先の階数ボタンを押しながら、静かに語った。そして、美紗が気まずそうな顔をしていることに気付くと、柔らかい笑顔を浮かべた。
「君は、思ったことがすぐ顔に出るタイプだね」
午前中、班長の比留川に言われたのと全く同じセリフだ。美紗が返答に詰まると、日垣は、
「細かいことを気にするより、本来の仕事のほうに集中してくれればいい」
と、慰めとも苦言とも取れるような言葉を継いで、手にしていた制服の上着を羽織った。
作品名:カクテルの紡ぐ恋歌(うた)Ⅱ 作家名:弦巻 耀