男運の悪い人生
二年前、サリナはこの北の町にやってきた。三十四歳のときである。
美しい看護婦だったが、あいにくと男運が悪い。この町に来る前のことである。若い医師と恋に落ちたが、いいように遊ばれ、挙句の果てに棄てられてしまった。三十歳のときのことである。自虐的になったときに、優しくしてくれた男が現れた。彼は普通のサラリーマンだったが、言うことはデカいが、やることは小さい。うだつもあがらない男だった。いつになっても結婚に踏み切れない男で、ぬるま湯のような愛人関係がずるずると三年が過ぎたとき、彼女の方から別れた。何もかも嫌になって、友達のアンナがいるこの町に来たのである。アンナは街外れの大きな病院の事務をしていた。
「どこか、働き口で、良い所はないかしら?」とアンナに聞いた。
「じゃ、うちに来る? 看護婦を探しているの?」
そう言われてサリナはアンナの病院で働き始めた。
同じ外科で働く田中幸雄という医師が気になった。ぶっきらぼうで、横柄にみえる。サリナがやること、なすこと、全てに文句をつける。あるとき、「部屋が汚れている」と言った。すると、サリナは怒り、「部屋を散らかしたのは、私ではありませんし、また掃除婦でもありません」と怒った。怒った後で、サリナはしまったと思った。何を苛立っているのか、自分でも分からなかった。すると、田中は「君はユニークな人だ」と大笑いした。それにつられてサリナも笑った。それが付き合うきっかけである。
田中は医者として優秀だが、女の扱いは苦手だった。サリナのことが好きなのに、うまく言えないのである。サリナも同じように好きになった。
病院に勤めて一年が過ぎた。サリナが何度か夜を一緒に過ごすきっかけを作ったが、田中は誘いに乗らなかった。女の細やかな心の動きを読み取れるような器用な男ではなかったのである。
二年目の秋も終わる頃、酔いに任せて田中は初めてキスをした。
その後、「結婚してくれるかい? 来年の春に。答えは、今は言わないでくれ」と言った。
まるで少年のように顔を赤らめてので、サリナは思わず微笑んだ。
秋が過ぎて、冬が来た。その頃、ふとしたきっかけである男と知りあった。見かけだけは良い男である。サリナはそういった男に弱く何度か痛い目にあっている。今回も、この見かけだけの男の誘いに乗ってしまった。居酒屋で飲んだ。店を出る頃には、二人ともかなり酔ってしまい真っ直ぐに歩けない状態だった。さらに悪いことに、街は大雪に見舞われていた。帰ろうとして、タクシーを捕まえとするものの、結局捕まらず、二人でホテルに泊まるはめになった。
翌朝、サリナは目覚めたとき、自分が裸であることに気付いた。隣に眠る男も裸である。田中と結婚しようと思っているはずなのに、なぜこんな男と寝てしまったのかと悔やんだ。ふと母親を思い出した。母親は好きになった男のために家庭を捨てた。その母を憎み、軽蔑しながら生きてきたはずなのに、同じようなことをしている自分に気づき、思わず泣いた。
男は目覚めて「どうした?」と聞いた。
サリナは泣きながら服を着ている。ぐずぐずしている男を見て、「早く服を着てよ。ホテルを早く出たいのよ」とサリナは怒った。
悪いことに、二人でホテルを出たところを病院の同僚に目撃されてしまった。
サリナが田中と婚約しているにも関わらず、他の男とホテルに泊まったという噂は直ぐに広まった。田中は何も言わない。ただ矢を放つような鋭い眼でサリナを見る。そんなとき、サリナはうつむいたままでいる。決して許してとは言わない。
数日後、サリナは病院を辞めたことを決めた。田中に別れのメールを送った。返事は着なかった。春が来る前、彼女はこの町を去ることを決意した。これから、相手を見つけて、結婚をしても、もう子供を作ることはできないだろうと思った。あの大雪の一件さえなければ、田中と結婚して、幸せな家庭を築き、子どもができたかもしれない。そんなふうに思ったら、涙がこぼれた。
晩冬、もう春のような晴れた休日の朝のことである。
サリナがアパートの近くの川岸を歩いていると、田中と偶然と会った。 二人は見つめあった。早朝のことで行き交う人はいなかった。最初に口を開いたのは田中の方だった。
「この町を去るっていうのは本当か?」
彼女は小さく頷いた。
「そうか」と田中はため息をついた。
「やり直す気はないのか?」
サリナは首を振った。
「あなたを裏切ってしまった。もう合わせる顔がないよ」と微笑んだ。
「僕は全てを忘れた」と言った。
田中はそれが精いっぱいの慰めの言葉だった。
「だめよ。それに私が忘れない」
田中は背を向けた。しばらくして、振り返ると、サリナの頬に一筋の涙が頬を流れているのを認めた。縋るようなまなざしで田中を見ていた。もし田中が抱きしめたなら、サリナの心は揺らいだかもしれない。けれど、田中は何もしなかった。ただ川を見ていた。雪解け水をたたえた川を。
「いつ旅立つ?」とぶっきらぼうに聞いた。
「明日か、明後日くらいに」
田中が深く悲しんでいることが、サリナにも分かったが、どうすることもできなかった。
サリナは「さよなら」と思わず言ってしまった。
その場に居たたまれずに歩いてしまった。振り返ると、田中は動かないでいた。歩きながら、ふと、田中がなぜここにいるのか? と考えた。自分に会いに来たのでは、と思った。だが、もう遅い。サリナの人生はいつもこうだった。いつも損な役を演じている。母親と同じような男運の悪い人生を歩んでいる。