躾と脅威は結び付く
自分自身への訳の分からない陰鬱で不愉快な感情が邪魔で仕方なかった。
指先の逆剥けと足の小指のないはずの爪がじんじん熱を持って、それと反対に心臓の奥がキュッと冷えきって、本当に不愉快。
鬱病の人は常日頃これが続いてるのかと思うと気の毒でしょうがない。
こんなに恐いとは思わなかった。
この日から4年経った今でもときたま思い出し、身震いする。
当時の私の身体は涙と汗が垂れるだけの騒ぎじゃなかた。
馬鹿みたいに体内の水分が目から止めどなく溢れて、汚らしく嗚咽を漏らし、商店街の人たちからいろいろな好奇の視線を向けられていた。
私たちを怒鳴りつけた張本人である父は鍵を母から奪って帰っていった。
なにせ父に怒鳴られたのも男性に殴りかかろうとされたのも初めてで、女子供も私はそんなもの脅威の対象でしかなかった。
いくらお酒が入ってたとはいえ、その日からしばらく父が恐ろしく感じ、私の反抗期は一時停止した。
最初は父と母の口論から始まった。
焼き鳥屋に私が行きたいと言ったので家族で商店街に訪れたのだ。
そこで父のよいが回ったようで、私の成績と育て方について、母に文句を言い始めたのだ。母も酔いが回っていたので、負けじと返した。
私を間に挟んで。
まあ私は小生意気なガキだったし、それが両親のストレスとなっていたので、そう言ってしまうのもしょうがないのだろう。
でも正直耳を塞ぎたかったし、両親の本音を聞いて酷くショックを受けた。店内の客の蔑む視線や哀れな視線に耐えられなくて、必死にお互いを落ち着かせようとしたが、それがいけなかったらしい。
より加速する父の暴言に母もよいが覚め、店を出たところで私はもう涙でぐしょぐしょだ。私に対して優しく慰める父は、続いて人が変わったように母を怒鳴りつける。
まさに場面はカオスにまみれていた。
記憶もそこから途切れている。
キャバ嬢と同伴の客や、ヤクザの人たちの好奇の目も見て見ぬする警官もきみがわるくて、余計泣いてしまった。
私を慰めながら死にそうな顔をしている母の方がよっぽど辛いのだろうが。
翌日父はなにも覚えていなかった。
それから2年経って、いけないことの区別もつくようになった。
友人がいじめをしていたらすぐ止めたし、誘われても断ったりした。
父は相変わらず態度が悪かったので、一回仕事から帰ってきた父に対してそれは良くないと言ったところ、一切お酒を飲んでない父にとんでもない暴言と水筒をぶつけられた。一言、たった一言。ガン垂れたクソガキ、という言葉が耳にこびりついて気持ちが悪かった。2年前と同じように胃がキュッと冷えたが、明らかに違うのは、父が全く酔っておらず、正気の状態で私に対して殴りかかったことだった。
そこから、いけないと思った事でも口に出さないほうが良いこともあると学習した。
母に頼むから父に対してなにも言わないでくれと頼み込まれたときには両親の絶望したし、世の中ってこんな風に出来ているんだと納得できた。
大袈裟かもしれないが、暴力団や犯罪が無くならない理由だってこれと同じようなものなのだろう。
周りの迷惑と自分自身への恐怖だったら周りの迷惑を選ぶ自己防衛本能が働いてしまう。
気持ち悪い。
現在私は中学生だ。
反抗期はもう無いし、父に対して逆鱗に触れていないし、周りよりその分賢く生きている。
それも全部父のおかげだと思うと皮肉である。