Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ
癒しの術を使えても、毒を盛られたらどうしようもない。十分大した目にあっているのに、どうしてそう隠そうとするのだろう。若干の苛立ちを覚えながら、アルベルトはリゼをこちらに向かせようと手を伸ばす。しかしその前に、キーネスが二人の間に割り込んだ。
「ランフォード。リリスはバノッサで何をしていたんだ」
その問いに、リゼはキーネスへと視線を向けた。
「……遊んでた。バノッサの神父を悪魔憑きにして、町を地獄に変えようとしていた。バノッサは自分の玩具だと言っていたわ」
バノッサは悪魔憑きが最期の時を過ごす町だという。神父まで倒れてしまっては町のまとめ役がいなくなる。その混乱を狙ったのだろうか。悪魔教徒の考えそうなことだ。
「で、貴女はそれを阻止したと。そういうことですわね?」
ティリーが問うと、リゼは他人事のように気のない表情で答える。
「阻止したというか、単に悪魔祓いをしただけ。あの町は悪魔憑きだらけだったから、いつも通りのことをしたのよ。それがあいつの気に障ったみたいね」
「それでリリスに目を付けられたという訳か。なるほど。リリスは今後もランフォードを狙って来るだろう。奴にとって、今最も目障りなのはお前だ」
キーネスがそう言うと、その隣でティリーが頷く。
「バノッサで遭遇したのはたまたまかもですけど、悪魔教の教主自ら毒薬盛るぐらいですもの。よほどリゼが怖いんですのね」
フロンダリアで遭遇した悪魔教徒もリゼの命を狙っていた。あれは神殿爆破のついでのようだったが、今後は本格的に命を狙って来るだろう。スミルナでわざわざシリルに取り憑いてみせたのも、命を狙うのと同時に宣戦布告の意味もあったのではないだろうか。しかし、事態の深刻さとは裏腹に、当の本人はまるで他人事だった。
「私を守る必要なんてない。それよりシリルの心配をした方がいいわ。特にアルベルトは」
そう言って、リゼはアルベルトを一瞥する。
「あいつは一応人間なのに、自由自在に人に取り憑くのよ。“憑依体質(ヴァス)”のシリルは格好の器。『返す』とは言ってたけど、『二度と手を出さない』と言った訳じゃない。あいつに聖印の守りは効かないし、ミガーは強力な結界が少ない。かといって教会は信用できない。その子が安全に暮らせる場所は少ないわ。あいつを倒すまで、シリルが取り憑かれないよう見張り続けるしかない。私を守るなんてことに時間と労力を使っている場合?」
「そうだけど、シリルもおまえも皆で守ればいい話じゃないか?」
ゼノが不思議そうに言うも、リゼは鼻で笑っただけだった。
「それで済む相手じゃなさそうだから言ってるのよ。それに、あいつが直接襲って来るならむしろ好都合。今度リリスに会ったら――確実に息の根を止めてやる」
瞳に怒りの炎を宿しながら、リゼは低い声で語る。それまでどこか冷めた様子だったのに、今は感情を滾らせている。
「ランフォード、お前こそ相手を考えろ。少し冷静になれ」
怒りを滾らせるリゼに、キーネスが顔をしかめつつ釘を刺した。いくらなんでも無謀すぎる発言だ、と。しかしリゼはどこ吹く風だ。
「私は冷静よ。あんなやつ相手に負けるつもりはない。バノッサで会った時は『次会った時は死んで』なんてほざいてたけど、この通り私は死んでないしね。悪魔を滅ぼすためにも、悪魔教の教主を討たないと」
「戦うなとは言ってない。勝手な行動は慎めと言ってるんだ。お前がいくら強かろうが、相手は“魔女”だの“悪魔の子”だの呼ばれる輩だぞ。仮に負けなかったとしても、相打ちにならない保証はどこにもない」
「“魔女”なのは私も同じよ。それに、相打ちになるならちょうどいいじゃない。魔女同士潰し合うだけ。誰も損はしな――」
「いい加減にしてくれ!」
遂に堪忍袋の緒が切れて、アルベルトは半ば怒鳴るようにリゼの発言を遮った。そのきつい声音に驚いたのか、ティリー達は皆アルベルトの方を向いて目を丸くしている。だがリゼだけは無表情のまま、冷めた目をしていた。
「相打ちになるならちょうどいい? 何がちょうどいいんだ。なにも良くなんてない」
「そう? この世を脅かす邪悪がそろって消えるのよ。良いことじゃない? あなたも歓迎すべきことよ。悪魔祓い師なんだから」
「なに馬鹿なことを言ってるんだ! そんなこと、歓迎できるわけがないだろう! 君はどうしてそう――」
「自分を大事にしないのかって?」
リゼは感情のない口調で答えた。
「決まってるでしょう。大事にする価値がないからよ」
頭の芯がすうっと冷えていく気がした。ショックでも悲しみでもなく、怒りで。目の前の分からず屋に対する苛立ちで。アルベルトはリゼに詰め寄ると、面倒そうな表情をしている彼女に問いかけた。
「――どうしてそう言い切れるんだ」
「どうしてもなにも、私のことを一番よく知っているのは私だもの。自分に大事にされる価値あるかどうかくらい分かるわ」
「何で価値がないと思えるのか、その理由を聞いてるんだ。理由を教えてくれなければ納得なんてできない」
こうも頑なに『価値がない』なんて主張されて納得できるものか。価値がない人間なんていない。人は神に愛されてこの世に生まれてくるのだから。
「理由なんて知ってどうするの。知りさえすれば、私を説得できるとでも思ってるの?」
「思ってるよ」
「……なら、答えるだけ無駄ね。何を言われても、私はあなたの望むような考えにはならないから」
きっぱりと言って、リゼは視線をそらす。この話は終わりと言わんばかりの態度は、彼女お得意の無言の拒絶だ。だが、今日は引き下がらない。アルベルトは一歩リゼに詰め寄ると、視線を逸らしたままの彼女に言った。
「君はやっぱり、自分のせいで家族が死んだと思いこんでいるんだろう?」
その瞬間、リゼは目に見えて動揺するのが分かった。表情が凍り付いて、瞳がわずかに泳いでいる。
「それを償おうとしているんだろう?」
以前そう尋ねた時、彼女は違うと否定した。けれど、やはりあれは強がりだ。
「自分を許せなくて、自分を罰さないでいられない。だから無茶をしてまで悪魔と戦おうとする。けどそれは――」
「違う!」
半ば悲鳴のように上げられた声に、アルベルトの言葉は掻き消された。立ち上がったリゼは息を切らせ、アルベルトを睨みつけている。先程まで冷えきっていた目も、今は怒りと苛立ちと、そして恐れで揺れていた。
「悪魔を滅ぼすのは私のただ我儘。自己満足。私のため。復讐のためよ。こんなこと償いにもならない! 何をしても死んだ人間は帰ってこない! 私には……罰を受けて楽になる資格なんて……!」
「そんなこと――」
「うるさい! 私のことなんて何も知らないくせに、勝手なこと言うな! あなたに私の何が分かる! 私と違って、あなたは普通の人間なんだから!」
一しきり叫んでから、リゼは我に返ったように表情を変えた。怒りで朱が差した頬からさあっと血の気が引いていき、元の色を通り越して青ざめていく。彼女はよろめいたように後ずさると、踵を返し脱兎のごとく駆け出した。
「リゼ!?」
作品名:Savior 第一部 救世主と魔女Ⅴ 作家名:紫苑