4年婚
玄関先のポストに入っていた市役所からの通知ハガキを手に取りながら、私はため息を吐いた。
多分、幸人は更新を望むだろう。この8年弱、夫婦生活に取り立て問題はなかった。
「問題はなかった」
口にしてみると、言葉は吐き出された途端、周りの空気にさらされ乾燥する。
この8年間がこの一文だけで表せてしまうことに、少し自嘲に似たおかしさを覚えた。
少子化を食い止めるため、結婚が更新制になって8年。
20歳になると、誰もが相性適正検査の封筒が各家庭に届く。検査には、相手に何を求めるか？結婚生活をどのように送りたいか？自身のこだわりなどを尋ねる項目が100項目程度あり、その答えによって導き出された相手との半ば強制的な結婚させられる。
そこにセクシャルマイノリティや独身主義に対する配慮はない。
相手のことを気に入っても気に入らなくても、4年に1度、その相手との夫婦生活を継続するかという封書が来る。継続を望まない場合は、晴れて独身になれるのかというと全くそうではなくて、次の相手がまたテストの結果によってあてがわれるだけだ。
4年を待たずに離婚を申請するには多額の罰金がかかる。人によっては懲役のようだ、という人もいる。
そして、政府はこの更新期間までの4年間に相手との子供を一人以上設けることを推奨している。実際、お互い不妊症でもない私達夫婦に子どもがいないことで、近所の人達からは好奇な目で見られていることを私は知っている。
子供を産み、しかし4年後に相手を変える場合、本人達が希望すればその子は里親に出される。あまり昔のような罪悪感はそこには存在しない。
子どもを連れ子にする場合は、基本的に当事者に任される。家庭裁判所にはこれに関する案件で持ちきりだ。
幸人は優しい人だった。初めて会った時の、ぎこちない笑顔を、同い年であるにも関わらず可愛いと思ったことを覚えている。
ただ、私の人生はこれでいいのだろうか…？そんな問いが、ふと日常生活のすき間すき間をついてくるのだ。
私は幸人と関係を持ったことがない。これは問題といえば夫婦としては大問題かもしれない。昔ながらの本当の夫婦なら。
初めてのデートで手を握られた。でも、汗ばんだ手から伝わる緊張それを押し上げる義務感に思わず手を払ってしまった。
「ごめん」
謝った私に幸人が言ったのは
「そうだよね」
その一言だけだった。それ以来、幸人は何もして来ない。
罪悪感から、最初の更新日が近づいてきた時、自分から強引に誘ってみたことがある。しかし、幸人は「無理しないで」と、裸の私を毛布でくるんだだけだった。
その日、私は泣いた。恥ずかしさと、馬鹿な自分に。見透かすみたいに微笑んでくる幸人に。
それ以来、しばらく私は幸人と口をきかなかった。でも、幸人は更新を望み、なんで？と尋ねる私に「僕は君の同志だから」と言った。
それ以来、私達夫婦はセックスこそないものの、とても仲の良い、親友のような関係になった。道行く人が見たら、仲睦まじいカップルに見えるほどに。
確かに幸人は厳正な審査で選ばれただけあって、趣味も合い、私の話をよく聞き、理解してくれた。常に支えてくれた。理学療法士として働き、安定した収入も得ている。
何もなければ、私も更に更新を望むところだった。しかし…
「五味さん…」
恋をした。いつも通う図書館の司書。どうしようもない、朝から夢の中まで彼が出てくるような、誰と会っても彼の話しかしたくないような…ああ、自分でも気が触れていると分かってるのに。
幸人はいいと言うだろう。夫婦を更新した上で彼を好きでいればいいと。なんなら浮気さえ黙認してくれるかもしれない。
でも、私はまたあの笑顔を見たくないのだ。あの見透かすような、そしてどこか置き去りにされたような寂しそうな顔を。同志ゆえに。恋を超えた夫婦ゆえに。
「問題はなかった」
もう一度口にしてみる。その端から、更新ハガキをビリビリに破いた。指先から細くなった紙吹雪が、私の靴の上に舞う。そのすぐ後に風に飛ばされて暗いアスファルトに異質な色を散らした。
この8年を否定したくはない。でも、これはやはり人間の生き方ではない。
私は、家のポストに背を向け、そのまま何も持たずにバス停へと向かった。