戦場のカメラマン
ノボルは戦場のカメラマンである。戦争の悲惨さを訴えるために写真を撮る。一部の人間は、売名行為のために悲惨の状況を撮るのは、ヒューマニズムに反すると非難する。しかし、彼は意に介しない。
アキラも同じプロのプロカメラマンだが、ノボルとは正反対だ。彼は美の狩人だ。美しいものだけにレンズを向けシャッターを押す。対照的と言ってもいい二人だが、十代の終わりに専門学校で出会った。写真家になる夢を語り合った。
専門学校を出ると、別々の道を歩んだ。二十代の終わり、突然ノボルは戦場に行った。戦争の悲惨さを撮り、欧米で認められた。以来、彼はあちこちの戦場で写真を撮り続けている。
二人が再会するのは五年ぶりのことだった。ノボルの顔も手も傷だらけであった。それが彼の生きざまを表している。そのうえ、顔は深い皺に覆われている。日々の厳しい現実が彼の顔を作り変えたのである。
「戦場に行って、捕虜になったらどうする?」とアキラが心配して言う。彼は、ただ危険な戦場に行くのを考え直して欲しかっただけだった。
「日本に俺を待っている人はいない。捕虜になっても、殺されても、誰も悲しまないさ」とノボルは笑う。
「タバコ、吸っていいか?」と聞くと、
アキラがうなずいた。
ノボルはポケットからタバコを取り出して、火をつけた。彼は、カメラ、タバコ、酒、を愛した。健康も危険も顧みない。まるで人生を軽んじているような生き方をしているとアキラは思っている。
「テロリストに捕まれば、国に身代金が要求される」とアキラはなおも続けた。
「きっと、払わないさ。この国は。そんなことをすれば、テロリストに屈したと思われる」
「この国の国民はセンチメンタルだ。捕虜を見棄てれば、非難する者が必ずあらわれる。それと同じくらい、いや、それ以上に、『どうして、そんな危険を冒すのだ』という非難する者が現われる」
「お前も非難するか?」とノボルは睨んだ。その眼は冷やかだが、怒りに満ちている。
アキラは沈黙した。
ノボルは続けて、「僕は、日本の平和が永遠に続くとは思っていないし、そして世界中の至るところで起こっている戦争が、日本人と無縁だとも思っていない。みんなどこかでつながっている。そのつながりに気づかないふりをしているだけだ」
「仮にそうだといても、戦場に行く意味があるのか?」
「意味? そんなものは初めからあるものじゃない。自分で作りものだ。それに戦争で行われている野蛮な行為に目を塞いではいけない。誰かが、それを世界に伝えないといけない」
会話は平行線のままだった。ただはっきりしたのは、専門学校で知り合ってから二十年近く、紆余曲折があったにせよ、アキラはノボルを、「同志であり友だ」と思っていたが、そのとき、少なくとも同志ではないことがはっきりした。繋がっていたと思っていたのは、アキラの勝手な幻想にすぎなかったのである。
ノボルは言った。「俺は生きたいように生きる。戦場に行き、写真を撮ることに、お前のコメントは要らない」とノボルは微笑み、「平和な国で過ごしているお前には分からない。生きるということがいかに過酷で、そして大変なものかは。……またメールをするよ」
「今度はどこへ行く?」
「とりあえずトルコだ。トルコからアフガンに行く」
今もアフガンは内戦状態だ。
一年後、アキラからメールを受け取った。難民キャンプに隣接する病院で看護婦をしているアンナといつか結婚する予定だという。メールには、彼女の写真が添付されていた。黒髪で瞳が大きく、整った端正な顔立ち美しい人であった。メールには、『来年の春、ひっそりと結婚するという。数少ない友として、来て、祝ってくれ』と書いてあった。
ノボルが、「数少ない友」と言ってくれたことに、アキラはどれほど嬉しかったことか。
数か月後、またメールを受けとった。
メールに『テロリストの自爆テロで、アンナが命を落とした。悲しい』と簡単に書いてあった。たった一行だった。ノボルはめったに自分から心情を語らない。「とても悲しい」と告白したのは、よほど悲しかったのであろう。
アンナの死を知らせるメールを受けった数か月後、ノボルは帰国した。まるで死人のような青ざめた顔をしている。
アキラはノボルを飲みに誘った。
しばらく、酒を黙々と飲んだ後、ようやく重い口を開く、「お前に俺の悲しみが分かるか?」とノボルは言った。
「俺は彼女の遺体を引き取りに行った。たくさんの穴があいていた。爆破現場から離れていたから、体はばらばらにならずにすんだ。近くにいた友人は助かった。友人によれば、彼女は戦争で片足を失い働けなくなった少女を見舞うために爆破現場となった病院に行った。この地上に神はいない。彼女はたくさん、神にお祈りを捧げたのに」
アキラは何も言えなかった。ただ聞いているだけだった。
店を出ようとするとき、アキラは聞いた。
「また行くのか?」
ノボルは何のためらいもなく、「行くよ」と答えた。
「自由になりたい。豊かなになりたい。普通のことだ。その普通のことが、ときに平和を遠ざけている。そして、戦いが戦いを呼び、憎しみが憎しみを招いている。その現実が俺を引き寄せる」
店を出た。
「寒いな、相変わらず日本は」
「当然だ。もうじき、冬になる」
「そうか、冬か」とノボルは微笑んだ。
その寂しそうな横顔に、アキラは何か毅然たるものを感じた。確信した。戦場のカメラマンと死ぬ覚悟であることを。