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反動的「自由恋愛」主義との闘争 非モテ主義宣言

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日本には亡霊が出る。非モテ主義という亡霊が。この亡霊を払いのけるために
あらゆる連中が同盟に加わっている。それは金持ちであり、無邪気に「自由恋愛」を説くドアホ女であり、その女とやりたいと思うしかないチンポ野郎か、そのアホ女をモノにしてきた男、男を篭絡していい思いをする「恋愛」ブルジョア女である。
 1 非モテと経済的諸関係について
一般的に、非モテを規定するものは何であろうか。考えうるにそれは顔と金、大きくいって二つであると考える。児童、生徒である時期、そして社会人手前ではあるが
経済的側面が全面にでない大学までは「恋愛」というものは原始時代とかわらぬ闘争を呈している。そこには厳然たる非モテとモテの格差がある、原始的な格差である。
ここでは多くの悲劇的非モテ男子諸君が顔の良しあし、しゃべれるかいなかというおまけ要素を込めて、取捨選択される宿命を背負っている。ここには資本主義初期の社会のような無秩序な競争が行われているのである。
 しかし資本主義社会において労働するという行為を経てこのいびつな競争に一つの要素が加わる。金である。それまで女に全く相手にされてこなかった男も資本主義社会において搾取する側に回ることによって未だに残る女性の結婚への圧力といった社会的側面もあいまって、この両者の思惑は一致するのである。非モテはまともな性交相手を持った!これを社会の一部は「恋愛」だとか「愛」だとかと呼ぶ!資本主義社会においては非モテであっても金という資本主義社会最大の武器によって持てば持つほど「いい女」を手に入れることができる。さあ非モテだったかつてのブサイクよ、復讐の機会が与えられた、存分にセックスせよ!という話である。こういう側面がある以上そもそも「自由恋愛」という単語自体、大人社会において全く適用することができない子供騙しのアホ単語であるといえる。「自由」であるかのように見えるのはあくまで経済的諸関係が無視できる時期における「恋愛」においてのみである。
 すなわち、非モテ問題を難しくするのは資本主義社会と密接に絡み合った階級的側面が存在することである。同程度ブサイクな男で、同程度性格に難があれ、どれだけ資本をもつかによって運命は変わってしまうのである。すなわち非モテ主義者は恋愛の資本主義的搾取の側面をも注視しなければならない。では我々の社会が共産主義になれば非モテはいなくなるか?それは否なのである。
 2 「平等な」社会における「自由恋愛」
 では経済的諸関係が無視できる程度になった究極の発展した社会に我々が行きついたとしよう。そこではいわゆる「自由恋愛」が謳歌する時代であるには違いがないだろう。しかし、非モテはなくならない。なぜならこれは原始の競争社会と表現した「顔のよしあし」によって我々が取捨選択される動物園の猿社会と同じような社会が全期間によって行われるというおぞましい光景があるに違いない。「自由恋愛」から経済的側面が消えたとたん、ブサイクがブサイクであること、モテないやつがモテないやつのままで居続けること、この悲劇的階級固定化を生むのである、決して経済的に平等な社会が非モテに「ユートピア」を造るのではないのである。
 3 非モテ主義者の取るべき戦術
 では一体どうすればよいのかという悲鳴が聞こえてくる。現下「恋愛の再分配」という問題が笑い話でしか取り上げられない社会において私が未来図を描くことは難しいのも事実である。顔の良しあしというのは遺伝子的、そしてある時代のある社会集団における美醜という価値、というなんとも人間根本そのものの問題であるからなおさらである。しかし本文において私は「恋愛の平等」を語ってはいないのである。そんなものが可能だとも私は思わない。私が主張したいのはこのような残酷な競争が存在しているにもかかわらず「恋愛」「愛」などという甘ったるい言葉で、その現実を覆い隠すなという事である。「自由恋愛」は全く「自由」ではない。勝手に自由だと思い込んでいるだけなのである。そして男はセックスをすればするほど(売春を除く)、女は「いい男」や「イケメン」を捕まれば捕まえるほど偉く、称揚されるという風潮を社会から少しでも除きたいという事なのである。つまり、モテれば何をやっても許される、ような空気を変えていくのは我々非モテだという事なのである。決して男女が恋愛行為をする事に反対なのではない。まずはそこに絶望的な競争があり、腐った現実が横たわることを訴えていくことが非モテ主義者の革命的第一歩であろう。
 4 非モテ主義のこれから
 我々は自由恋愛主義者、やりちん、やりまん、それに付き従うキョロ充的バカ女、バカ男というどうしようもなく、そして強大な敵を前にしている。非モテ諸君よ、憶するなかれ、我々の鬱積した想いを手放してはならない。また、性欲に屈してもならない。非モテ主義者は革命的でなければならない。これらセックスできればいい、セックスしたやつが偉いという価値に毒され、ブサイクな女とやりたいがために逃げてはならない。己を見失ってはならない。我々がまず、この悲劇的な現状を真顔で訴えていくことを続け、傲慢なセックス至上主義にNOを突きつけることを集団で行える時がくれば、革命的段階に突入したといっていいだろう。
 非モテは彼女を持たない。そして祖国も持たない、持てない。なぜなら、彼女がいることを前提にした社会、価値観からはなんの利益も持たないのである。
 非モテ主義者はこうした自身の性欲と反動的勢力を暴力的にでも打倒しなければならない。しかしそれは団結してでのことである。非モテ主義者は元々ない女どもの評価以外失うものはない。非モテ主義者には世界がある。
 万国の非モテ主義者団結せよ!