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幻燈館殺人事件 中篇

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* 4 *



 花明は帝国大学に戻ってきた。
 大学に戻ることを決めたものの、怜司に会えることを期待して、紅梅荘の近辺をたっぷり一時間ほど練り歩き、結果として何の収穫も無く大学へと足を向けることになった。
 春が近いとはいえ、昼間の時間帯を過ぎて陽が傾き始めると、首筋を撫でる風の冷たさが際立つようになる。そうして人々は、まだ冬が終わっていないことを実感する。
 花明は、どっしりと構える神社の鳥居にも似た門の前にいた。
 この門は、大学敷地の北面にある門のうちで一番大きな門である。一般に黒門と呼ばれているが、実は正式名称ではない。東西南北をそれぞれ青白赤黒で表す四神や風水に擬(なぞら)えて、黒門と呼ばれている。
 その呼び方に従えば、大学の西面に白門があることになるのだが、小さな通用口を除けば、西面には正門が存在するのみである。
 西門(せいもん)であるから正門にしたのではないかとか、西門(せいもん)と正門が存在することになるのを防ぐためだとか、学生間で面白おかしく語り継がれている。また、東面には青門が存在するが、“せいもん”とは呼ばない。
 花明は黒門を通りかけて、はた、とその足を止めた。
 そのまましばらく空を見上げて、うん、と頷き、くるり、と身体を反転させた。
 黒門を出て西へ。大学の敷地に沿って進む。足早に。
 花明が大学に戻ったのは、紅梅荘で会うことができなかった怜司が、再び大学に訪ねてくるだろうという予測に基づいての行動だ。
 そして、高田が手紙を預かったのは、北面にある黒門ではなく西面にある正門だった。
 であれば――
 花明は正門に向かう。
 門から研究室までの距離は、黒門よりも正門の方が近い。だが、そんなことは関係なかった。移動距離だけならば、大学の敷地内を突っ切った方が断然早い。
 正門付近に行けば、そこに怜司がいる気がした。いて欲しいと思っていた。勿論それはただの願望であって、怜司の手紙に触発された使命感に突き動かされて飛び出した挙句、何の成果もなく帰り着いてしまうという為体(ていたらく)への直面を先延ばしにしたいという無意識の行動でもあった。
 その行動が、花明に、そして九条怜司に幸運をもたらすことになった。
「花明…か?」
 声は男性のもので、潤いに乏しくやつれていた。
 花明は、声の主が九条怜司であると察して、目を大きく見開いた。
 相貌失認症である怜司は、人相から人物を判断することができない。そのため、怜司のほうから声を掛けられるとは思っていなかったのだ。
「少し離れて付いて来てください」
 花明は足を止めることなく通り過ぎる。そして、怜司が付いて来ていることを確認してから、なぜあんなことを言ってしまったのかと後悔した。
 一緒にいるところを誰かに見られたら、という思考が頭をよぎったのだ。

 正門を抜けると、東に向かってまっすぐに伸びる並木道の先に、帝国大学の象徴的建築物となっている講堂が見える。
 花明は、並木道の中ほどで南に折れ、学部棟の隙間を縫うように歩き、一際大きな建物に足を踏み入れた。
 少し遅れて、怜司も同じ建物に入る。
「怜司さん、こっちです」
 二人が入ったのは帝国大学図書館。花明がこの場所を選んだ理由は、万が一にも話を聞かれることがないようにするためだ。
 一階には、周辺の書店でも購入できるような一般的な書籍が置かれている。貸し出しは行っていないが、誰でも利用することができる。
 一方で、貴重な蔵書がある上階には、大学の学生であっても許可なしでは立ち入ることができない。完全個室が用意されていることもあり、研究等の作業を邪魔されないようにと、自らの研究室よりも図書館の個室を多用する者もいる。それだけ機密性に優れているということだ。

 個室に入り、内側から鍵を掛けると、花明は大きく息を吐いて脱力した。
「花明……俺は」
「怜司さん、この六年で痩せたのではないですか?」
 花明は、怜司に椅子を勧めながら、インバネスを脱いだ。
 個室内は、長机が一つに椅子が四つ、その他には扉脇に外套掛けがあるだけという殺風景だ。窓は二つ。いずれも押し上げて開く窓で、大人が出入りできるほどには開かない。
「身の上話をするために会いに来たわけじゃない」
「えぇ、勿論そうです。ただ、あと少し待ってください。まだ混乱しているんです。桜子さんが殺されて、怜司さんが僕に助けを求めている。本当に殺されてしまったのか、どうして僕なんかに助けを求めているのか、分からないことだらけだ」
 花明自身、どうしてここまで慎重になっているのか分からずにいるのだ。
 早口に吐き出された花明の言葉を受けて、怜司は髪を掻きあげつつ背凭れに身を委ねた。
 木製の椅子が、ギギ、と鳴る。
「そう……だな。やっと頼れる相手を見つけることができて、俺も少し焦っていたようだ。実のところ、何を話せばいいのかまるで分からない」
「そこなんですよ、怜司さん」
 花明は怜司の対面に座る。
「どうして僕だと分かったんです?」
「その外套だ。六年前と同じインバネス。帝都でそんな古い物を着ている人間はそういない」
 花明は、確かに、と苦笑する。
「忘れないうちにこれを返しておく。おかげで助かった」
 怜司は、背広の懐から小さな紙を取り出した。端のほうに、強く握った親指の跡がくっきりと残されている。
「気付いてもらえたんですね」
 花明は、差し出された自分の名刺を受け取った。
「まさか一晩で嗅ぎ付けられるとは思っていなかった」
「帝都の警察は優秀なんですよ」
「確かに九利壬津の警部はボンクラだったが、大して変わりはないさ。現に、俺は六年逃げ延びているし、犯人の濡れ衣を着せられてもいる」
「参考人聴取の可能性もあります。正直に話しては?」
「帝都の優秀な警察は、逃亡犯である俺の言い分を信じてくれるかな?」
「それは……」
 室内は、重たい雰囲気に包まれる。
「なぁ、花明。千代は元気かな」
「え? すいません。僕には分かりません」
「はは、律儀な奴だな。こういうときは、元気でやっていますよって言えばいいんだ。相手は気休めの言葉が欲しいだけなのだからな」
「怜司さん……」
「幼い我が子を捨ておいて、自分の望みを優先した報いなのかもしれないな。独りになった途端、娘のことを思い出した。卑怯な男だよ、俺は」
 怜司は、くく、と自嘲するように笑った。
「だけどな、花明。そんな俺にだって、守りたいものはある。娘を置き去りにしてまで、共に在りたい、と願った。そんな相手を目の前で殺されて、黙って引き下がれるわけがないだろう」
「ですが」
 千代は怜司の子ではない。九条大河と代美の間に生まれた子であり、腹違いの妹だ。しかし怜司は娘と呼んだ。
 怜司は、花明の言葉を手で制した。
「犯人が分かりさえすれば、警察へ出頭する。六年前のことも含めてな。そのあと、警察がそいつを捕まえようが捕まえまいが、俺は気にしない。どこの誰が、どうして桜子を殺したのか、俺が知りたいのはそれだけだ」
「分かりました、僕の負けです。しがない大学教員の僕にどこまでできるかは分かりませんが、できる限り協力します」
「助かる」
 ずっと張り詰めていた怜司の表情が、初めての緩みを見せた。
作品名:幻燈館殺人事件 中篇 作家名:村崎右近