BEAT~我が家の兄貴はロックミュージシャン
プロローグ
師走の鎌倉市内、天道家―――。
「りっくん、お父さんだぞ」
「サンタさん?」
「違うよ。サンタさんは明日だよ。父さんが、テレビに映るぞ」
「父たん?」
聖夜(イブ)の前日、幼い三兄弟はテレビの前に座った。
あるロックのライブをテレビ中継したものだが、幼い彼らに果たして理解できるのか疑問だが、そこに父親がいるとなれば一番下の子供は眠そうな目を擦りがら、必死に目を開ける。
「海(うみ)、まだ陸には無理だよ」
「お前が見せてやろうといったんじゃないか、空(そら)。ほら、始まるぞ」
七色に輝くライト、観客のざわめき。薄暗いステージに浮かぶ四人のシルエット。
その日、中継先のライブハウス『ZERO』は超満員だった。ロックバンド『SOULJA』のメジャーデビューが一ヶ月後に決まったと聞いた長年のファンで埋め尽くされている。
「1(ワン)…2(ツー)…3(スリー)、4(フォー)!」
ドラムステックのリズムに、ベース『RIKI』が音を重ね、ヴォーカル『KIRA』が歌い出す―――筈だった。
何が起きたのか、誰にも理解らなかった。歓声は悲鳴に変わり、誰かがステージで叫ぶ。
「『KIRA』!?」
「兄たん、父たん何処?」
兄の袖を引く下の子に、その兄も何が起きたのか理解らない。その年のクリスマスは父と親子四人で過ごす筈だった。サンタへの願いはガンダムのプラモと江ノ電の模型、下の子はお菓子がたくさん詰まった缶。苺がたくさん乗った特大のケーキを買って、父が帰ってくるのをイブまで待つ筈だった。だが、彼らの父親が家の玄関を開ける事は二度となかったのである。
父がもう帰っていないのだと、下の子は理解っていない。拳を握りしめ、泣くのを必死に耐える兄の袖を、彼は引く。
「ねぇ?父たんは?」
『SOULJA』ギター兼ヴォーカル『KIRA』、本名・天道吉良(てんどうきら)。
―――いつか、武道館のステージに立つ。
そう夢を語っていた男は、伝説となった。季節は巡り歳が過ぎ、『KIRA』と云う人間がいた事を覚えている者は減っていく。
「リュウジ、天才ダヨ」
「ケイン、いきなり何だ?」
アメリカ・NY(ニューヨーク)シティー―――。世界的ギタリスト、ケイン・ロバートが興奮気味に、友人だという日本人を訪ねてきた。
男は、乱れた前髪を掻き上げ怪訝そうに眉を寄せる。
「Mr.カズヒコ・シイナから、これが送られて来たんだけどね」
取り出したのは、一枚の記録用CD。『シイナ』という名前に心当たりがあるのか、男は表情を緩める。
「随分と懐かしい名前だな」
「知り合いかい?リュウジ」
「まぁな。だが数年前、日本音楽の世界から退いた筈だが」
椎名和彦は、音楽プロデューサーとして名を馳せていた。彼に認められる事は、スターの証だと云われるほどの人物である。以前彼と親しくなったというケイン・ロバートだが、こんなに興奮する姿は、男も見た事がなかった。
その理由が理解ったのは、CDが、プレイヤーにセットされ、ギターの音色が聞こえてきた時であった。
「こ、これは―――…」
「凄いだろう?」
「誰が弾いている?」
「『KIRA』」
「馬鹿な…」
ケイン・ロバートは、嘗て『KIRA』と云うミュージシャンがいた事を知らない。『KIRA』は、もうこの世にいないのだ。男が知っている『KIRA』は、もう―――。
果たして、これは単なる同名か。悪戯にしては、収録されている音色は高度なテクニックである。故に椎名も、ケイン・ロバートも興奮を抑えられずに同じ事をした。
椎名はケインに、そして。ケイン・ロバートは友人という元ギタリストの男に曲を聴かせた。音楽の世界にいる者なら理解るだろう素質と技量、それを見抜く目を持つ二人の目と耳は確かだ。
ただ―――。
それから五年後、男は男は帰国する。因縁と言って言い、糸に導かれて。
◆
江ノ島電鉄、通称江ノ電の極楽寺駅を降りて徒歩八分圏内に、天道(てんどう)家はある。極楽寺は紫陽花の季節となれば観光客で賑わう場所の一つだが、別の意味でやって来る者もいる。
「本当に、この当たりなのか?」
「いいか?いつでも撮れるよう準備しておけよ。『BROTHERS』の『KAI』、『SORA』の日常―――、このネタ余所に取られたら編集長に何言われるか」
雑誌記者らしい男たちが、周りを見渡しながら通り過ぎていく。
今、芸能誌を騒がせているのは歌謡界にデビューした、ロックバンド『BROTHERS』。ルックスも技量も申し分ないと、瞬く間に歌謡界を駆け抜けた。
そのメンバーである双子『KAI』、『SORA』が、暮らしているという。
天道家の周りには『BROTHERS』メンバーの私生活を覗いてやろうと言う雑誌記者、ファンが今日もウロウロしているが、幸い詳細な住所までは掴んでないらしく、自宅の前で鉢合わせする事はなかった。
「―――あら、海(うみ)ちゃん。今日も早いのねぇ」
「おばさん、俺もう二十三だよ?その《海ちゃん》はやめてよ」
「いいじゃないの。あんた達が赤ちゃんの頃から知ってるんだから」
天道家の隣に住む田中夫人は、ゴミ出しに来た青年を前にケラケラと笑う。
「そう言えばまた『BROTHERS』探し、最近増えたわねぇ」
「そのようだね、さっきすれ違ったよ」
「本当に住んでるのかしら?海ちゃん知ってる?」
「さぁ、どうだろうね」
海の見事な惚けっぷりに、田中夫人はそれ以上追求してはこなかった。
決して変装している訳ではないのだが、普段は金髪を無造作に束ね、保育園の保母さんかと思うようなクマやらウサギのアップリケ付きエプロン姿だ。まさかこの男が、今人気のロックバンド『BROTHERS』のベース『KAI』だとは田中夫人も、すれ違った雑誌記者も理解らない。
天道家のキッチンでは朝食用のパンが焼け、天道家の末っ子・陸(りく)が今起きたとばかり入って来る。
「…う」
思わず呻いた彼に、既に席にいた男は眉間に皺を寄せる。いつもなら、彼が登校してから起きてくる天道家次男・天道空(てんどうぞら)である。陸は、どうもこの次兄は苦手だ。
「―――俺がいちゃあ、悪いのか?」
「そ、そんな事はないよ。ただ驚いただけ。空が、こんな時間にいるなんて何年ぶりかなぁと…」
寝起きが悪いのは陸も同じだが、この次兄は特に悪い。起こし方を間違えると、普段は口数の少ない彼が毒舌を展開してくるのだ。既に機嫌が悪そうな顔に、やらかしたのは誰か陸は察しがついた。
(海兄だな…)
空はその海とは一卵双生児で、日本人と父親とアメリカ人の母親の間に生まれたハーフである。同じ金髪碧眼だが、海より長い金髪は腰まで伸びて、二人とも悔しいほどのイケメンだ。問題は性格である。
「グッドモーニン~♪今日も快晴」
ゴミ出しを終えた長兄の底抜けに明るい声に、空の眉間に刻まれた皺が深さを増す。。
「海の脳天気頭は、いつもだろ」
作品名:BEAT~我が家の兄貴はロックミュージシャン 作家名:斑鳩青藍