一枚の絵
榊原孝樹は母親の教えに従いX地方の当主にふさわしい生き方をした。滑稽なくらい家というものを守り続けた。いや守り続けさせられたといった方が正しいかもしれない。
子供の頃、彼は芸術家になるという夢を抱いた。十五歳のとき、母親に告げると、「そんな下らないことに興味を持ってどうするの!」と叱られた。それ以来、芸術家という言葉を一度も口にしたことがない。 だが、五十過ぎた今でも、芸術家への憧れは変わらない。
母親は厳しい人で、妥協も甘えも許さなかった。彼は幼い頃から母親の敷いたレールのうえを走ってきた。彼の妻も母親が決めた。女性として魅力が欠ける女であったが、政略的に決められたのである。 それが五年前、母親が脳梗塞で倒れた。 かなりの重度の後遺症が残った。言葉も下半身も不自由になった。三年後には、とうとう車椅子の生活となった。家で面倒を見ることはできないので、彼の妻が勝手に施設に入れた。それまで妻は「何事も、お母様、どうしましょう?」と言っていたのに、手のひらを返したように軽んじた。だが、妻以上に変わったのが孝樹であった。母親という呪縛が解けたのが、まるで別人のようになった。まず、夜遊びを始めるようになった。もともと、妻との夫婦生活はその前から終わっていたので、特に問題もなかった。
妻は「ほどほどにしてください。愛人を作ってもかまいませんが、入れ込んで離婚などと言わないでください」と釘を刺した。 女遊びとともに古美術を集めるようになった。金に糸目をつけないほどである。
クラブNのママの趣味も美術品の収集だった。そのせいか、榊原と話が合った。いつしか、二人は夜をともにするようになった。初めて夜をともにしたとき、乳房に入れ墨があるのに気づいた。
「これは菩薩様よ」と微笑んだ。
「若いときに入れたの」
その入れ墨を入れさせたのが、もう十年近くママを愛人にした高倉という男だった。これといった才能は全くないが、ただ唯一の特技がセックスであった。蛇のように長い時間からみ付くようなセックスでママを虜にしていたのである。最近はインターネットで株の取引をはじめた。やがて、一攫千金を狙い、多額の信用取引をやってしまった。そのとき、中東で紛争が勃発し、NYの株式が暴落した。それが引き金になり、東京の株式市場も暴落した。初めの頃は数日内で収まるだろうと高をくくっていたが、一週間過ぎても下落し続けて、とうとう追証のために、闇金融に手を出してしまった。どう見ても、まともではなさそうな男達かママの前に現れた。
「二千万払え、そうでなかったら、あの男がどうなってもしらないぞ」と脅した。それから毎日のように督促があった。千五百万の貯金が下ろして彼らに渡した。
そのとき、「これ以上、無理よ」
「そうか。なら、あの社長の榊原という奴に頼んで融通してもらえばいいじゃないか。いい仲だろ? こっちは何でも知っている」と彼ら笑った。
ママは閃いた。昔、古美術商の男と寝たとき、一枚の絵をもらった。何でも有名な画家が描いたものだと言っていた。その絵を五百万で売ろうと。
ママは榊原と寝た後、言葉巧みに絵を買ってほしいと頼んだ。むろん、愛人の高倉のためとは言わずに、故郷の母が施設に入るためと偽って。
「何でも有名な画家の絵らしいの。あなたなら、その絵の素晴らしさが分かるはずよ。買ってくれたら、あなたのために何でもするわ」と抱きついた。
榊原の書斎には、一枚の絵が飾られている。ママに言われて五百万で買った絵である。その絵を見ては、ママと過ごした夜を思い出し満足した。