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かなりえずき
かなりえずき
novelistID. 56608
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エア定食屋さんの呪縛

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「エア定食屋?」

こんな店あっただろうか。
普段とは違う道を通ってこんな定食屋は初めて見た。

好奇心に負けてのれんをくぐると、
よくある下町の定食屋さんな雰囲気に包まれていた。

「いらっしゃい、何にしますか?」
「それじゃラーメンで」

待つこと数分……いや、数秒。
店主は「へいお待ち」と悪びれもせずにどんぶりを出した。

なにも入っていない、空のどんぶりを。

「あの……ラーメンは?」

「お客さん、何言っているんですか?
 ちゃんとそこにあるじゃないですかぃ」

いや、どう見てもどんぶりだけだ。
箸を立ててみても、からからと陶器がぶつかる音もする。

その理由はほかの客を見ることでわかった。

「うまい! 個々のラーメンを食べればほかのはゴムだ!」
「ここのパンを食べれば、これまでのが綿ぼこりにしか思えない!」
「なんてうまいピザだ! 俺が食べてきたのは木板だ!」

他の客は阿鼻叫喚しながらの大絶賛をしつつ、
エア食事を楽しんでいた。

「お客さん、今の人間は何でも食いすぎなんですよ。
 食事で満腹感ではなく、満足感を求めているとは思いやせんか?」

「はぁ」

そういわれると、確かにそうかもしれない。
食べなくてもいい時に、好きなものを食べる。
もうそれは栄養補給でもなければ、娯楽ですらない。

「この店では料理を食べることでは得られない
 最高の満足感を提供する定食屋なんですよ」

店主の言い分はわからなかったが、
金を払ったのもあるので周りの客に合わせて褒めちぎった。

「うわー! なんておいしいラーメンなんだ!」

食べているフリをしては、ありもしない食べ物に感動する。
最初は気恥ずかしかったものの、
だんだんと普段の食事では得られない「良い食事ができた感」を痛感した。

「ああ、これが満足感なんですね」

「そうでしょう。想像だからこそ
 ここまでの満足感が得られるんですよ」

すっかりエア定食屋にハマった俺は週5で通い詰めるようになった。

最初はまだ食事がある前提で演技をしていたものの、
最近になると本当に食事も見えてくるように。

「なんておいしいカレーなんだ!
 これまで俺が食べてきたのはただの砂利のようだ!!」

目の前の皿にはカレーがたしかに盛り付けられ、
スプーンで確かに口に運ぶことができる。

もうこの定食屋以外で食事なんてとれない!



数日後、ケンカしていた妻が帰ってきた。

思えば定食屋を見つけた日も、
妻とけんかして家を飛び出されたので
晩御飯をどうするか路頭に迷っていたところだった。

「あなたごめんなさい。
 私も大人げ……ひっ」

妻は俺を見るなり、短い悲鳴を上げた。

「どうしたんだよ?
 俺の背後に幽霊でも立っていたのか?」

「ちが……違う……。
 あなた、鏡を見てもなんとも思わないの!?」

「鏡?」

姿見の前に立っても変なところはなかった。
いつもの俺が、いつも通りこちらを見ている。

「普通じゃないか?
 お前、いったいどうしちゃったんだ?」

「どうしたのはあなたよ!」

妻とこれ以上押し問答を続けても、
また前みたいにケンカになって一時的別居になりかねない。

俺は逃げるように家を出た。
向かう先は……。


「いらっしゃい、今日も来たんだね」

「はい、イライラすると食事がとりたくなって」

エア定食屋に足が向いていた。
ここで食事をとれば満足感で心が満たされ、カリカリすることもない。

「はぃよ、アジの開きお待ち」

さらに盛られたアジは黄金色に輝いて、
じゅうじゅうとおいしそうな音を立てている。

「いただきます」

箸を伸ばしたところで、エア定食屋に妻がやってきた。

「あなた!」

「どうしたんだよ、ついてきたのか?」

なら一緒に食事でも……と言いかけたが、
妻の手にカナヅチが握られていることに気付いて口をつぐんだ。

妻はまっすぐこちらへ向かってくる。

「あなた、どうかしてる……。
 こんなことでしかもう戻せないけど……」

「な、なにする気だよ! や、やめろぉ!」

椅子から転げ落ちた拍子に腰が抜ける。
妻はカナヅチを思い切り振り上げる。

「助けてぇぇぇ!」



バリン!

振り下ろされたカナヅチが皿を粉々に叩き割った。

盛られていたはずのアジの開きは、
ダブった皿にかさなってやがて消えていった。

「俺は……いったい何を……」

さっきまで見えていたはずの客の料理も、
今ではただの皿で料理は見えなくなってしまっている。

「あなた、洗脳が溶けたのね。
 こんな方法でしかあなたを正気に戻せないと思ったの」

定食屋のガラスで自分を見ると、
そこには病的に痩せこけた男が立っていた。

定食屋に通うことで、
俺は自分の見たいものしか見えなくなっていた。

「ありがとう、これでもう正気に戻ったよ。
 この定食屋には二度と来ない。
 もう洗脳なんて絶対にされないよ」

俺は自分と妻に誓った。


その日の夜、妻は嫌に張り切って料理していた。

「はい、できたわ。
 全部あなたの大好物でそろえたわ。
 何も食べていなかったから、きっと感動するわよ」

テーブルには大好物のラーメンに、ハンバーガー、カレー。
今度は俺の想像ではなく確かな暖かさを感じる。

もう俺から定食屋の洗脳は溶けたんだ。

「いただきまーーす!」

我慢できなくなって一気に全部を口に放り込んだ。
耐えきれないほどのおいしさを感じる……。


感じない。

ラーメンはゴムにしか思えない。
ハンバーガーは綿ぼこり。
カレーはまるで砂利を食べているようだ。

「どう? おいしい?」

妻は満面の笑みでこちらを見ている。
俺が返せる選択肢はひとつだった。

「ああ、とってもおいしいよ」

定食屋の洗脳が溶けても、
俺の体にはまだ別の刷り込みが残っていた。