これが遺作です
医者の言葉に家族は顔をうつむかせた。
「バリバリ仕事をしてきた人はよくなるんです。
情熱を傾けられるものがなくなった瞬間に、
一気に老け込んでしまうことが」
「先生、どうにかならないんですか?」
「難しいでしょうな」
医者が去った後の重い病室にひとりだけ残された。
家族はもうどう接していいのかわからなかったのだろう。
「はぁ……情熱かぁ」
思えば、自分の人生といえば仕事仕事の毎日だった。
子供の誕生日も妻との結婚式よりも仕事ばかり。
定年してからというもの、
まるで目的のない毎日に、何も残せない自分にいら立っていた。
「最後の最後に……なにか残そう」
病室に支給されたのはパソコンとネット環境。
ぱっと思いついたのは遺書ではなく、遺作だった、
小説を書いてみよう。
それは自分の人生初めての挑戦だった。
・
・
・
「ダメだダメだ! こんなんじゃだめだ!」
書いてみてその難しさに驚いた。
文字をただ連ねるだけでは小説にはならないし
まして「遺作」として残す以上ハンパなものは作れない。
書いても書いてもまるで理想との溝は埋まらない。
できたのは小説というより自伝をもとにしたフィクションだった。
「……こんなもの発表しても遺作にふさわしくない」
遺作になるには、最高傑作でなければならない。
もっと自分の書きたいものを。伝えたいものを……。
いや、それでいいのか?
自分の書きたいものを書いても、見てもらえなければ価値はない。
それがいかに名作だったとしても。
「ふぅむ、やはり遺作として残すべきは自分の最高傑作ではない。
わしが生きていたことを証明するためにも、
より多くの人の心に訴えかけなければならない」
多くの人に読まれて、
多くの人に楽しんでもらえてこそ、わしの生きていた証が残せる。
ならば、最高傑作ではなく、最高の話題作を。
「わしが死ぬのが1年先だから……。
1年先の流行を見越して遺作を作らなくてはな」
けれど、これがなかなか奥深い。
調べても調べても次に新しい流行が別角度で生まれてくる。
「必ず、遺作を残してやるんじゃ!!」
※ ※ ※
「……それがおじいちゃんの口癖でした」
医者はカルテを見てみて、本当に驚いた。
「いや、ほんと奇跡ですよ。
余命1年から10年生きるなんて。
これも人生の"やりがい"を見つけたからでしょうね」
「そうですね。ここ10年のおじいちゃんは、
ひたすら流行を追うことが楽しみになっていたみたいです」
病室にはおじいちゃんが調べつくした資料の数々。
そして、ついに完成した遺作ができていた。
医者が手に取ると、家族がそれに気づいた。
「ああ、それはおじいちゃんが残した遺作です。
でも、なんていうかその……」
「面白くないですね」
「ええ」
流行を追うこと自体が楽しくなったおじいちゃんの遺作は、
1年後には当たり前になる話をただ書いていた。
「これを遺作として公開するくらいなら、
せめてこっちの方をネットとかで公開したほうがよくないですか?」
「ですね」
医者と家族はおじいちゃんの遺作として、
その作品をとりあえず発表することにした。
その作品は……『これが遺作です』という。