意味を持たない言葉たちを繋ぎ止めるための掌編
手を繋ぐことに対する私のささやかな主張
相手との近しさというのは物質的な距離ではないと私は思っているのです。手を繋いでいるとき、相手とは手を介して繋がっていますが、他の部分では離れています。そのときにできる相手との距離感は、その相手のことを一番近しく感じられるぴったりな距離のように私には感ぜられるのです。ようするに近しさを感じるには適度な “隙間” のようなものが必要なのだろうということが、私のささやかな主張なのです。はたして、皆様はどう思われるのでしょうか。
作品名:意味を持たない言葉たちを繋ぎ止めるための掌編 作家名:篠谷未義