SAGAシリーズ-2009-
SAGA6 奇跡の雨
夏の風が齎した吉報が胸を早く打ち
日毎浮つく心と体も抑えられず
けれど期待は泡沫となって消えた。
あの方の帰還をどれほど焦がれたか。
帰還第一陣の中に居る筈のあの方は居られなかった。
傍を行き交う人々へ問い掛ければ嘘だと聞き返したくなる黒い言葉。
雑踏に揉まれ千千に裂かれたのは心ではなく身体であったかのような錯覚。
戦でその身が還ら無い事などよくある事。
それに乗じて頑なに信じようとはしない心。
今までにも増して神に祈りを捧げる日々。
幾日も幾日も繰り返し冷たい石の上に跪き必死に去来する黒い影を拒絶した。
街の人が私を指差す。
かわいそうに と。
母は甘く囁く。
もういいのよ と。
父は軽く窘める。
もう忘れろ と。
次々に縁談を持ち寄る縁者の影に悲しみも一入。
どうぞ放っておいてといっそ打ち消してしまいたい一露。
戦は未だ終わらず遠くの空を鈍く染めたまま。
泣き言は胸の内で逆巻く。
このまま生きる屍となりどこか遠くへ連れて行って貰えたら。
甘えた哀しみだけが身を浸す。
第二陣、第三陣。
薄呆けた視界を横切る凱旋の波。
あの方の影を掻き消してゆくように悠々と。
今日は祭日。
長く続く鎮魂祭。
重ねた凱旋の祝いも重なり酷く騒めき、今日という昼と夜の境界線を一層曖昧に。
篝火が焚かれる。
渇いた弾ける音が赤く赤く飛んでゆく。
動物を模した藁の造形が焚火に照らされゆらゆらと影を伸ばす。
影から覗く小さな目。
今日は闇の日。
あらゆる精霊と魂がこの世に混在する日。
人々は戸口に立ち悪霊が入らぬように目を凝らす。
夕闇から盛りとなる宴に影が揺らめく。
私は戸口を開け放ちどうぞこちらと招きましょう。
小さな妖精にご馳走を。
だからお願い。
どうか叶えて。
私も闇の融解する彼方へ共に連れて発って。
小さく囁いた願いも虚しく、精霊達はこぞって口を揃える。
『それは出来ないお嬢さん』
『君の足はまだしっかり付いているじゃあないかね』
『君の潮はまだしっかり巡っているじゃあないかね』
『残念だよお嬢さん』
『可哀相なお嬢さん』
『悪いが君は連れて行けない』
『残念だが君は越えられない』
『ああそうさお嬢さん』
『その通りだお嬢さん』
『くふふ悪いねお嬢さん』
『くすす可哀相なお嬢さん』
『さようならお嬢さん』
『お別れだお嬢さん』
『『そうしてずっと泣き暮らすがいいさ』』
高笑いを残して次々に飛び発つ悪霊に言葉も無い。
震えた睫毛に篝火の橙色が明るく飛び込んだ。
明日になれば新しい年明け。
神官様の火が届けばそこまで。
扉は堅く閉ざされ貴方への道も閉ざされる。
忍び寄る悪夢に魘されて凍える身体を抱き締めた。
無常な朝日。
救いの手すら伸ばされず。
夢の中でさえ神を罵倒した。
この苦しみを永劫抱えて生きねばならないのと。
けれど痛みを手放す方がどんなに苦しいか。
嘆く寝所に貴方の香りなど欠片も無い。
冷たく堅い樫を打つ音。
英雄になどならないでと何度も告げた。
響く堅い扉を打つ音。
嘆きの寝所に届く母君の声。
現実と夢の区別もままならずに沈む私を浮き上がらせるのは
扉の向こうに聞こえる金物と重い足音。
ゆるりと起き上がる間も無く、
彼岸へと沈む私を引き上げる大きな手。
十二の使徒さへもこの輝きには敵うまい。
おお奇跡の雨に耳を覆う。
ああ嘆きの声さえ今は遠い。
今は確かな私だけの王に祝福を。
作品名:SAGAシリーズ-2009- 作家名:筒井リョージ