十和田湖畔
あたしは彼であって欲しかった。彼と別れて、街で何人の男を拾ったことか、死にたいと思う気持ちは、深海魚が時たま水面に浮かぶように、その魚は光が観たかったのだろうと思う。身体が膨らみながらも、観たことも無い灯かりを求める。あたしは死にたかったのではないと気付くこともあった。彼を探していたのかもしれない。いや彼はすぐ近くにいた。ケイタイから連絡すればよかった。単純すぎた。彼との行為もそうだった。純粋なものが不純になるとき、境界があるのだろうか。あたしは彼との行為があたしを純粋なあたしに変えさせてくれた気がした。生きるとは死にたいと同居している。だからあたしは死にたいだけの気持ちから、ほんの少し、生きてみたかった気がした。命をかけて遡上するヒメマスは、いずれ人間の腹の中に収まることなど、神秘的な事など、ただ本能だけヒメマスに生きる力を与える。
ケイタイに残る彼の写真が全く変わらず、あの日を思い出させる。消去すれば・・・その決心は付かなかった。引き換えに死を決める。そして、男を求める。生きることが彼との約束だったから、あたしは約束を守った。知らぬ男たちからあたしは命を奪い、彼らに快楽を与えた。あたしは自分の存在を探していたのに、遡上するヒメマスと一体なことに気付く。自分が出来ることを探していたはずだった。
乙女の像が建っている。彼と観た去年の時と変わりは無い。あたしもあの時のままが良かったような気がした。十和田湖の底でこの子を産もう。あたしは腹に宿る子は記憶ではないかと思う。精子と卵子との結合は1篇の詩にすぎない。書き記した紙片を破ることも、投稿することも、今は、あたし1人の活断なのだ。 あたしが生まれたときも月の光はあったのだろうか。月の光を目指して行きたい。あたしはそうも思った。それは湖の底を求めるよりも、はるかに困難だと、あたしは知っている。
月面に降り立ったあの人は誰だったかと思い出すが、彼の顔が浮かんできた。